美食批評への誘い  Vol.41~45

クリティーク・ガストロノミック

 
フランス現代思想家

関  修(せき おさむ)

第四十一回
「自分で選べるようになること」
――ガイド・サイトの活用法――

 前回の連載では、『ミシュラン』のようなレストランガイドや「食べログ」のようなグルメサイトに関して批判的見解を書かせていただきました。ただし、もちろん筆者はこれらの媒体を全否定するものではありません。『ミシュラン』の星の数、いや『ミシュラン』に掲載されていることそのものがある種の権威であったり、「食べログ」の五点満点の評価が自身の選択の絶対的基準であったり、口コミの評価を鵜呑みにすることは危険であると申し上げたのです。結局、それは自分で選んでいないからに他なりません。これは星付きフレンチにおける「お任せコース」や「ワインペアリング」といったあたかも客のためを装いながら、結局、客に選択する余地を与えない、即ち客の判断能力を養おうとしない、供給側の消費者をコントロール下に置こうという戦略にまんまとはまってしまっている状況なのです。これを「賢い消費者」と勘違いするのは本末転倒というものです。
 
 ガイドである以上、『ミシュラン』は『地球の歩き方』や『るるぶ』と変わらないのです。実際、『ミシュラン』は元々、二十世紀初頭、自動車でフランスを旅行する際、各地で泊まるのに適した宿を紹介するガイドとしてタイヤ購入者へのサーヴィスの一環として始まったのは周知の事実です。ですので、当初はセールスマンが宿を発掘する役を担っていました。その宿の中で美味しい食事を出す店に星を付けるようになり、さらにそれを三段階に分けたのが現在のミシュランの星の由来です。これらも当初はセールスマンが研修を受けて、判定を行っていました。それが後にインスペクター(調査員)として独立した職業になったのです。我々にとって身近なテレビ番組、『孤独のグルメ』の井之頭五郎さながらです。
 
 ですから、本来『ミシュラン』にはホテルを評価するという重要な側面がありました。筆者が初めてパリを訪れた時持参した『ミシュラン パリ1994』はハードカバーで220頁の薄い本ですが、区ごとにまずホテルの情報があり、その後にレストランの評価が続きます。
 
 もちろん、当時はSNSのない時代でしたから、筆者もミシュランの記載を参考にホテル選びをしたものです。四角の中にMの字のマークがモダンなホテルで、スイート(アパルトマン)があると記載されたホテルの中から、立地と価格で選びました(例えば、6区の「ラ・ヴィラ」)。その名残が現在の『ミシュラン 東京』にもあり、300頁を費やすレストランガイドの後に、おまけのように20頁ほどのホテルの評価が記載されています。果たして、あれほどレストランについては騒ぎたてるのに、ホテル評に関して取り沙汰されることはあるでしょうか。というか、このホテルのパートを読むたび、現在の『ミシュラン パリ』はレストランガイドに特化していますので、東京版には何か大人の事情があるのだろうと思ってしまいます。それほど、意味のないというか、残念な「余技」なのです。
 
 では、具体的に筆者は現在どのように『ミシュラン』を活用しているか、お話ししましょう。つまり、『地球の歩き方』と同じく、『ミシュラン』も「食べログ」も信仰するものではなく、「活用」するものであり、しかも「消費者」各自が自分なりの活用法を見つけるのが筋であり、これこそが「賢い消費者」に他なりません。従って、筆者の活用法もあくまで「例の一つ」であるとお考えいただき、読者の皆様が自分なりの活用法を見つけられるヒントになることを願っています。
 
 まず、『ミシュラン』に関しては、筆者は何処へ旅行に出かけてもフレンチを食する=ワインのある店に出かけますので、まず『ミシュラン』に掲載されている店の中から選択するようにしています。例えば、香港での「アクラム」、台北の「MUME」、日本でも仙台の「ナクレ」などはすべてミシュラン一つ星の店です。これらの土地に頻繁に出かけることはありません。ですので、これといった店をピンポイントに選ぶ必要があります。その際、ミシュラン掲載店はまさに「無難」、大きな間違いがないということです。これが世界中に『ミシュラン』が展開できる秘訣でしょう。つまり、『ミシュラン』はある意味、「保守的な」ガイドと言えます。しかし、これこそ、『ミシュラン』の原点、そう、「旅先での良き道しるべ」というガイドとしての在り方に一致する用い方に他なりません。
 
 それに対して、「自らの生活圏」での使用、筆者であれば『ミシュラン 東京』を用いる場合、その「無難」な側面がある種の硬直した「当たり前過ぎ」といった「つまらなさ」を感じさせることになるのです。2007年暮れの創刊以来毎年欠かさず買い続けると、確かに創刊当初とは随分店が代わっているのは確かですが、ここ二、三年では少なくともフレンチに関しては大きな変化はなく、新たに星を取った店もそれほど触手が伸びません。また、色々な店に出かける機会がありますので、ここは『ミシュラン』だけではなく、『ゴ・エ・ミヨ』も比較参照してレストラン選びに役立てるのが大事です。パリであれば、さらに『ルベ』、そして筆者の愛する『ピュドロ』と少なくとも四種類のガイドで、同じレストランの評価を読むことが出来ます。「旅先」ではなく、「生活圏」での使用では、この「比較対照」という作業を怠ってはなりません。
 
 では一方、「食べログ」はどのように活用すればよいでしょう。まず、一般的に一番大切に思われている五点満点の点数ですが、筆者にとっては最もどうでもよいもの、つまり「意に介する必要のない」ものと思われます。この点数は、例えばミシュランの星の数とはまったく意味が異なります。掲載されれば、三点からスタートといった趣で、二点台の店を見かけることはなく、四点台になると高評価という判断。しかも、点数をつける誰もが平等に扱われる訳でもなく、特定のリピーターの評価が反映されるように操作されている。そのリピーターが業者から接待を受けたり、自身がコンサルタントをしたりと、ユーチューバーのように営利目的の活動を行っている。ミシュランのような覆面調査員であったり、ピュドロのような批評家だったりする訳ではないのです。あるタレントさんが「食べログ三点で美味しい店を知っているとかえって優越感を感じる」と言い得て妙なことをおっしゃっていました。筆者も自分が足繁く通うある店が三点くらいなので、人を見る目ならぬ「店を見る目のない奴らめ」と呆れつつ、店を荒らされたくないのでちょっと嬉しかったりするのです。
 
 次に重要視されている「口コミ」即ち一般からの評価ですが、これは若干複雑です。点数のように「どうでもよい」と言っていられない、悪影響を及ぼす可能性があるからです。以前書いたと思いますが、某一つ星のレストランでサーヴィスが生き生きして活気があって良いという評価がありました。が、実際出かけてみると何のことはない。人が足りなくて、バタバタしているだけ。有料の水も注ぎに来ず、グラスが空のまま放置されるという最悪のサーヴィスだったのです。まあ、これはとんだ勘違いですまそうと思えば、それまでですが、それとは別に筆者はとても後味の悪い体験をしたことがあります。友人から奥渋にある彼の行きつけの店(すでに閉店)に行かないかと誘われたことがありました。カウンター居酒屋のような店構えで、彼は開店当初からの常連らしいのですが、最近、人気が出て予約しないと入れないのだ、と。と、そこまでは良かったのですが、最近入った支配人が問題で「食べログ」の口コミが荒れて大変なことになっていると。彼もどちらかというとその支配人に批判的で常連をないがしろにしているという口ぶりでした。
 
 そこで「口コミ」に目を通したのですが、常連らしき人たちは支配人に対して罵詈雑言といった感じなのに対し、一方で、人気店と聞きつけ初めて来店した人あるいは気軽な店という情報からフレンチ入門に訪れたお客さんたちは頼み方を教えてくれたり、好みを聞いてくれ、親切な対応だったと書いているのです。つまり、正反対のことが書かれていて、読むと混乱するのです。で、さらに悪いことに実際訪れてみるとその支配人は筆者の良く知る人物で、友人は彼を目の敵にしている訳ですから、何ともいたたまれない状況に置かれ、二度と行くまいと思った次第です。結局、「食べログ」の影響でその支配人もほどなくその店を去りました。辞められたと連絡があったので、元支配人とお目にかかって事情を聞いたのですが、シェフの他にオーナーのいる店でオーナーから客単価を上げるよう指示があったらしいのです。また、常連たちはアラカルトで一皿取ってチビチビ酒を飲んでいたらしいのですが、開店当初ならいざ知らず、人気店になったので何とかしろとも言われたらしい。そこで、アン・ドゥ・トロワで頼んでもらうようにルールを変えたら、「口コミ」で散々叩かれるはめに。まあ、「大人の事情」とはこういったことなのでしょうが、いずれにせよ「口コミ」を鵜呑みにしてはいけないことだけは確かです。
 
 では、「食べログ」で何が役に立つか。まず、店の基本情報です。何席あるか、どのクレジットカードが使えるかなどは『ミシュラン』を読んでも書いてありません。正直申し上げて、不正確な場合が結構あるのですがそれでも助かります。そして、筆者が一番活用しているのが「写真」です。昨今、食事の際、お客様は何かと写真をお撮りになられる。正直、料理の写真はどうでもよいのです。筆者の場合、ワイン揃いが問題ですので、飲み物の写真、とりわけどのようなワインが写っているかが店選びの参考になるのです。というのも、ワインリストを公開している店は多くないのです。しかも、運が良ければ、ワインリストの写真が掲載されている場合もあります。もちろん、品揃えは変わるかと思いますがブルゴーニュがそれなりに置いてあるのかなど、大事な情報を得るのに「食べログ」の「写真」は極めて有用であると言えるのです。
 
 このように「食べログ」の場合などいっけん一番どうでもよさそうな「写真」こそ、店選びの重要なヒントになり得るという事実。これもまた、ガイドやサイトを活用するのは消費者自身である限り、その創意工夫に意を注ぐことの重要性を示唆するものです。振り回されるのではなく、「批判的に」対処することで、これらのツールはまさに「導きの糸」となってくれることでしょう。
 

第四十二回
テイスティングの基礎
――フランスワインを軸に――

 「ワインがわからない」。人がこう言う時、そこには大きく二つのことが語られていると筆者は考えます。まず、「ワインの知識がない」ということ。これはいわゆる蘊蓄で、産地特性や葡萄品種(セパージュ)の名前などなど。さらには、ソムリエ試験に出るようなテイスティングで、これはチリのカベルネ・ソーヴィニヨンといったようにワインを当てることも含まれるでしょう。しかし、一方で「何を飲んでも同じに思える」とか、テレビの「格付けチェック」で高級ワインと普通のワインの違いがわからない芸能人と同じいわば「味音痴」のような「ワインにおけるさまよい人」のことも指しているのです。先日も社会人になった教え子とワインを飲んだ際、「自分はワインがわからないので」というので、いつもは何を飲むと聞くと会社での飲み会ではビールだというので、「ビールがわからない」って言うのかと尋ねると確かにそうは言わないし、好みのビールがあるのは「わかる」と言うのです。日本酒を嗜む方に至っては、蘊蓄以前に「好み」がはっきりあるはずです。ところがワインになると途端に「わからなく」なってしまう。それは他ならない自分のワインの「好み」がはっきりしないからです。
 
 日本酒好きの人が日本酒について熱く語るのは「好きこそものの上手なれ」ということわざの体現と言えましょう。ところがワインになると誰もがソムリエのように勉強しなくては「ワインはわからない」と思ってしまう。ソムリエは職業上の必要から「勉強」するのであって、極論すれば「ワイン愛好家」である必要はありません。ワインラヴァーはワインが好きで好きでたまらないので、好奇心からいろいろ知らずにはいられなくなるのです。つまり、まず自身のワインの「好み」がわかれば必然的にワインの知識も身につくはずなのです。ビールや日本酒では自然に行っている所作が、何故かワインになると誰もがソムリエを真似ようとする。これは本末転倒としか言いようがありません。まずは自身の「好み」を見つけることこそ、「ワインがわかる」ことへの第一歩なのです。
 
 では、何故日本酒のようにはいかないように思えるのか。それはワインには赤と白があり、しかも世界規模で作られ、どこから手をつけてよいやらわからないからでしょう。そして、畢竟、ソムリエ試験のように世界中のワインの名前や葡萄品種を片っ端から覚え、同じ葡萄品種でも産地の違いを判別しなくてはいけないと思い、いよいよ気が遠くなってしまうのです。しかし、「好み」を見つけることは必ずしもワインスクールに通うことではありません。ビールや日本酒と同じく、あれこれ飲んでみれば良いのです。学習心理学の基本の基本は「学習とは試行錯誤(トライアンドエラー)の結果なり」というスキナーのテーゼです。
 
 問題はワインの場合、とにかく数が多いので手あたり次第とは行かず、何処かに「軸」を置く必要があるということです。そして、それはフランスワインに置くのが最良であり、そこから「比較」と「類推」という手法を用いて他のワインへと展開させていくことが可能となります。
 
 例えば、カリフォルニアワインを一躍世界に知らしめた出来事として有名な一九七六年の「パリスの審判」を挙げることが出来ます。これはアメリカ合州国建国二百年を記念して、パリでフランスワインとカリフォリニアワインのブラインドテイスティングを行なったイヴェントです。審査委員には、ピュドロウスキの拙訳で戦後フランス料理をテレビで啓蒙した立役者として記載のあるグラン・ヴェフールのレイモン・オリヴェや筆者も訪れてその素晴らしいサーヴィスを受けたタイユヴァンのオーナー、故ジャン=クロード・ヴリナなど錚々たるメンバー。世界を驚愕させたのは赤・白共に第一位になったのがカリフォルニアワインだったことです。白はシャトー・モンテレーナ、シャルドネ(第二位にルロのムルソー=シャルム)、赤はスタッグスリープ、カベルネ・ソーヴィニヨン(第二位にムートン=ロートシルト、第三位にオー=ブリオン、第四位にモンローズとボルドーが続くのですが)でした。
 
 このテイスティングの結果にはいろいろ異論もあるようですが、筆者が注目したいのは、カリフォルニアワインが世界的名声を得るにはフランスワインと「比較する」というプロセスが欠かせなかったことです。本来、テイスティングは絶対評価、しかるべき専門家がテイスティングすれば100点なら100点でしかないのです。つまり、フランスワインなど出さなくともカリフォルニアワインは極めて秀逸であると評価すれば良いだけですが、それでは世間の注目を集めるには効果的ではない。さらに、白はシャルドネ、赤はソーヴィニヨンとそれぞれブルゴーニュ、ボルドーの葡萄品種でカリフォルニアの方が勝ったということに価値があるのです。ここからもワイン一般は「フランスワイン」を軸に世界展開していることは明白でしょう。
 
 では、何故フランスワインなのか。筆者はヨーロッパ大陸(コンチネンタル)におけるワイン文化において赤白両方に銘酒が生まれる位置(緯度)にあるのがフランスだったからではないかと考えます。白はアルザス、ロワール(サントル、フランス中央部)、ブルゴーニュ、さらにシャンパーニュとレグザゴン(六角形、フランスのことを指します)の上半分に位置しています。赤はボルドー(大西洋岸でロワールの南)、ブルゴーニュ、ローヌ(ローヌ川、ブルゴーニュより下流)と下半分にあります。アルザスはドイツとの国境ですので、さらに北では白が中心のドイツワイン、地中海(メディテラネ)に出て、南にイタリア、スペインがあることから、両国はやはり赤ワインが中心と言えましょう。そして、フランスワインの中でもブルゴーニュはシャルドネによる白(コルトン・シャルルマーニュ、モンラッシェなど)、ピノ・ノワールによる赤(ロマネ・コンティを筆頭に数々の銘酒)と垂涎のワインを赤・白両方産出するという奇跡に近い立地なのです(これこそ、コート・ドール(黄金の丘)に他なりません)。ここにブルゴーニュが「ワインの王様」と呼ばれる所以があります。
 
 さて、ワインの好みはまず、「赤か白か」という問いに始まります。これを筆者は「ワイン二元論」と呼ぶことにします。そして、ワインが「わかる」にはこの「二元論」を基本原則と押さえることが重要です。すると、フランスワインにおいて、白はアルザスとブルゴーニュに二元化され、赤はボルドーとブルゴーニュに二元化できるのです。アルザスはリースリングを中心と考えれば、ドイツワインに通じます。つまり、アルザスとブルゴーニュを覚えれば、世界の白ワインの王道に通じることになります。ちなみに、この「赤か白か」という問いは正確には「スティルワイン」についての問いで、ワインにはさらに、「スティル」か「スパークリング」か、という二分化も考えられます。つまり、泡か否か。そして、このスパークリングも「シャンパーニュ」というフランスワインが軸になるのです。そして、このシャンパーニュもシャルドネ、ピノ・ノワール、(さらにピノ・ムニエ)と葡萄品種はブルゴーニュと同じです。
 
 一方、赤はボルドー(ワインの女王)かブルゴーニュかという二分化ですが、ここでの要点はすでに申し上げてきたように、ボルドーはカベルネ・ソーヴィニヨン、カベルネ・フラン、メルロを主にブレンドして作られるワインであることです。つまり、上記のブランインドテイスティングは白に関しては正しかったものの(双方ともシャルドネ)、赤に関しては正確さに欠けます。スタッグスリープはいわゆる「ヴァリエタルワイン」特定の葡萄品種(この場合、カベルネ・ソーヴィニヨン)から作られているのに対し、ボルドーの銘酒はどれもブレンドになっているのです。これは科学で対照実験を行う際、比べたい要素以外はすべて条件を揃える必要があるという原則に反しています。ムートンでソーヴィニヨンが80%、モンローズが65%、オー=ブリオンに至っては45%と第一の葡萄品種であるものの50%を切っているのです。
 
 ここで重要なのは、赤ワインはボルドーのようにブレンドすることで成立する銘酒とブルゴーニュのように単品種(ブルゴーニュではピノ・ノワール)からなる銘酒の二つのパターンがあるということです。従って、テイスティングもあくまでボルドー(タイプ)として行なう必要があるということです。もし、カベルネ・ソーヴィニヨン単品種としてテイスティングするなら、それはボルドーではなく、ブルゴーニュタイプのニューワールド特有のワインのテイスティングとして位置付けるべきであると考えられます。もちろん、メルロに関しても同様で、確かに近年、ポムロールなどでメルロ100%の銘酒が作られていますが(クロ・デ・リタニなど)、ボルドーもさらにまた、カベルネ(ソーヴィニヨン)主体のメドックとメルロ主体のリブールヌのワインに二分化され、リブールヌはさらにサン=テミリオンとポムロールに二分化されると考えられます。そして、ポムロールではメルロが主役ですがサン=テミリオンではカベルネ・フランが重要な役割を果たしていることを忘れてはなりません。サン=テミリオンのツートップ、シャトー・オーゾンヌでメルロとフランは50%ずつ、シャトー・シュヴァル=ブランに至ってはフランが60%、メルロが37%とフランが主体なのですから。ここでもメルロ単品種のテイスティングがボルドーワインを知ることにはならないことは明白です。
 
 こうして二元論的に考えると、例えば、フランスの赤ワインの第三項、ローヌのワインは葡萄品種としてはシラーが有名ですが、作られているワインのタイプとしては、コート=ロティ、エルミタージュなどはシラー100%のブルゴーニュタイプですが、シャトーヌフ=デュ=パープのようにブレンドに作り手の妙が映えるようなボルドータイプが対称的に存在していると把握すれば、理解が進むのではないでしょうか。つまり、一つ一つバラバラに覚えて行くのではなく、軸となるワインから「類推」し、関連付けることによって頭の中に整理して行ってはいかがでしょう。そうすれば、あれこれ飲み散らかして、かえって「わからなく」なることもなくなるはずです。さらにその応用として、イタリアワインをフランスワインの「比較・類推」から位置づける作業を会員頁で披露させていただきます。
 

第四十三回
迷走する『ゴ・エ・ミヨ』
――より良きガイドブックを求めて――

 日本のグルメにとって、『ミシュラン東京』の発売が毎年の年末恒例行事になったように、年が明け二か月ほどして、『ゴ・エ・ミヨ』が書店の店頭に並ぶのも定着してきたようです。『ミシュラン』に遅れること十年ほど、今回で四冊目が公刊されました。発売元が今年から幻冬舎になっています。御存知の通り、『ミシュラン』、『ゴー=ミヨ』はフランスを代表する、いや世界を代表するレストランガイドです。世界規模で展開するレストランガイドとしては、ニューヨークのザガット夫妻が始めた『ザガットサーベイ』が挙げられ、こちらは2007年の『ミシュラン東京』より早く、1999年にすでに日本に上陸し、現在は東京版と京阪神版が公刊されています。
 
 ところで『ミシュラン』、『ゴー=ミヨ』には本国フランスでは、共にフランス版とパリ版が存在します。しかし、日本の『ミシュラン』には日本版はなく、『ミシュラン東京』からスタートし、このところ毎年出されているのは「東京」と「京都・大阪」で、2019年版で「愛知・岐阜・三重」、「福岡・佐賀・長崎」が出版されています。『ミシュラン』は元々、1900年にタイヤ販売のサーヴィスの一環として、フランス全土を車で旅する際の情報を提供すべく出版された、つまり、「全国版」からスタートしたガイドであり、日本での展開の仕方は本国とは異なっています。 
 
 それに対し、『ゴー=ミヨ』は元々、1962年にパリのガイドブックとして始まったものが、1972年に全国版として登場し、ヌーヴェル・キュイジーヌの普及と共に名声を獲得したのでした。筆者があえて『ゴー=ミヨ』と記すのは、日本版が出るまで、日本では『ゴー=ミヨ』と訳すのが通例であり、『ゴー=ミヨ』はフランス本国のガイドとお考えいただきたいからです。つまり、少なくとも現段階で、日本の『ゴ・エ・ミヨ』は『ゴー=ミヨ』とは随分違っていると考えているからです。それは何故か。
 
 最新版の『ゴ・エ・ミヨ』の帯には「本当に訪れるべき、美食の名店673軒」と謳っています。問題はそれが「東京・北海道・北陸・東海・関西・中国・四国、24都道府県」の中から選ばれていることです。ちなみに、『ミシュラン東京』は東京だけで、2020年版は464軒のレストランが掲載されています。評価の内容の正当性以前に、上記の件だけでも『ゴ・エ・ミヨ』の中途半端さといったら、何とも言い難いものがあります。日本版かと思いきや、全国47都道府県の半分ほどしか調査しておらず、東北、九州が欠落しています。もちろん、東北、九州に評価に値するレストランがない訳はなく、それどころか、『ミシュラン』には「福岡・佐賀・長崎」、「宮城」などが発行されているのです。まあ、好意的に解釈して、全国版を目指して、その途上にあるのでまだ回り切れていないのかもしれません。確かに、20017年の初版は「東京と北陸」だけでしたから着実に拡大してはいる訳です。しかし、それにしても掲載する数が少な過ぎるのではないでしょうか。『ミシュラン東京2020』が464店、『ミシュラン京都・大阪2020』が415店、『ゴ・エ・ミヨ』の区分で言えば、東京と関西だけで879店です。うがった見方をすれば、「本当に訪れるべき」というのが「肝」で、『ミシュラン』はどうでもいい店まで載せて数を稼いでいるだけで、我が『ゴ・エ・ミヨ』は「真の名店」だけを厳選して収録しているのだ、と。
 
 しかし、こうした考えがいかに「レストランガイド」としては不適格か、以下に論じて行きたいと思います。まず、大前提として、日本のレストランガイドは、フランス本国は元より他のアジア地域とも様相が異なることを再確認したいと思います。つまり、フランスではフランス料理店が大部分を占め、他のジャンルは付帯的・補足的な扱いになっていることです。これは『ミシュラン』香港、台北版では中華料理店がほとんどを占めるという形で同様です。『ミシュラン』ソウル版でも初回の2017年版を見ると三つ星は二店で共に韓国料理、二つ星は三店で二店が韓国料理で、もう一店がロッテホテルにあるピエール・ガニェールの支店です。確かに『ミシュラン東京 2020』でも三つ星こそ全11店中、日本料理が8店(寿司一店を含む)でフランス料理が3店ですが、二つ星、一つ星になれば、フランス料理、イタリア料理の店は多数登場しています。しかも、日本料理はいわゆる懐石を日本料理と分類し、寿司、天ぷら、うなぎなどはそれぞれ別の分類になっていますので星付き店は膨大な数となり、世界一星の多いガイドになっているのはご存知のことと思います。その証拠に、初回の2008年版は星付きの店しか掲載されていませんでした。それではまずいと思ったのか、フランス版にある安価で良質の料理の楽しめる「ビブ・グルマン」を日本でも採用し、6000円以下でディナーの楽しめる店を加え、星付き店とビブ・グルマンの二本立てで現在推移しているというところです。
 
 しかし、これは日本でのことだけであって、フランス版はもとより、他のアジアの『ミシュラン』を見れば一目瞭然ですが、星付き、ビブ・グルマンより何も「印のない」店が大半を占めているということです。例えば、フランス料理でもう少しで星が取れそうな店は「星なし」であり、かつ東京の場合、コースで6000円以下ということはあり得ませんので、掲載されないことになります。これは消費者から言えば、大変酷い仕打ちではないでしょうか。星を取ろうと頑張っている店の方が星を取って現状維持に精一杯のレストランより値段的にも内容的にも期待できるのではと予想がつきます。実際、自分もパリにいた時期、二つ星を重点的に訪れていました。ルドワイヤン、ギー・サヴォワなどは現在、三つ星に昇格しています。また、リーファーワイン協会副会長の林氏もフランスにおられた時、二つ星の方が三つ星に昇格しようと懸命な感じが伝わってきて、三つ星より出来の良い店が多かったとおっしゃっていました。つまり、レストランというのは星付きと安くて美味しいビブ・グルマンの二種類に分類されるのではなく、元々「印のない」店が出発点で、その中から星を取る店と安くて美味しい店がピックアップされる。つまり「印のない」店こそ正しく評価されてはじめて、それぞれの「印」がつけられるのであり、その逆ではありません。
 
 従って、『ミシュラン東京』でさえ、『ミシュラン』の世界基準からすれば例外的な形であり、決して喜ばしい状況にある訳ではないのです。それでさえ、東京だけで464店必要とされているのに、『ゴ・エ・ミヨ』はすべてで673軒でしかありません。しかも、地域が広がり、前年に比して、東京の掲載数が減っているのです。東京のフランス料理店は2019年版では54頁ほどを費やしていましたが、最新版では36頁に減少。以前は13点までの店を掲載していたのですが、最新版は14点。14点はミシュランの一つ星に相当します。つまり、以前はもう少しで星が取れそうな店を掲載していたのですが、最新版は星付きの店だけ。これでは『ミシュラン東京』の創刊時への退行になってしまっています。
 
 『ゴ・エ・ミヨ』は創刊時、インスペクターを務めた方々がフランス料理に精通されている方たちでしたので、フランス料理、イタリア料理を軸とした西洋料理と日本料理のバランスを半々くらいにして、よりフランス本国のガイドに近いスタイルを目指されていました。ただし、諸事情で交代劇があり、それ以降は『ミシュラン東京』と同じ方向で進めているようです。ただし、『ミシュラン』がラーメン、餃子といった料理のジャンルを広げていったのに対して、『ゴ・エ・ミヨ』は地方に触手を広げる形、その際のキータームは帯にある「豊かな自然に育まれた日本の食」つまり、「食材」へのこだわりです。いずれにせよ、「広く浅く」というのが、どうも日本のレストランガイド一般のポリシーになってしまっているようですが、本末転倒としか筆者には思えません。
 
 『ゴ・エ・ミヨ』における「広く浅く」の顕著で残念な例は、今年から掲載されるようになった「大阪」に関する箇所に明らかです。フランス料理店が何と9軒しか載っていないのです。たった4頁。『ミシュラン大阪・京都』の2020年版では、大阪のフレンチ15店に星が付いています。ちなみに、『ミシュラン』では二つ星に「ラシーム」が入り、後の14店はすべて一つ星です。『ゴ・エ・ミヨ』では、「ラシーム」と「ラ・ベカス」は16点で最高位に評価されています。「ラ・ベカス」は今年で三十周年を迎える老舗で、渋谷シェフは関西フレンチの重鎮と言えます。しかし、『ミシュラン』には掲載されておりません。これは『ミシュラン東京』にやはり老舗の重鎮の店が掲載されていないのと同じ理由からと思われます。もちろん、筆者は両店とも訪れたことがありますが、近年、大阪のフレンチも素敵なお店が増えているのは確かです。それなのに、9軒しか載っていないのではまるで大阪はフレンチ後進都市とも言わんばかりで残念です。おそらく、地域を広げることに焦るあまり、調査不足のまま、掲載しているのではないでしょうか。これは由々しき事態です。
 
 また、掲載された9軒のうち、下位の「ディファランス」は13.5点、「ピエール」は13点です。両店ともミシュランでは一つ星を獲得しています。思い出していただきたいのは、東京のフレンチは14点で足切りされていることです。2019年版では東京も13点まで掲載されていました。13点台のレストランはミシュランで一つ星になっている店となっていない店が両方存在するというボーダーラインで、食通にとっては両ガイドの比較も含め、自らの舌で確かめてみたくなるのは必須です。それが今回の『ゴ・エ・ミヨ』では、地域によって足切りの点数が異なっているのは「評価」として妥当性を欠くと言えるのではないでしょうか。採点・評価する以上、13点なら13点までの店は一律、どの地域であれ、どのジャンルの料理であれ、平等にすべて掲載すべきです。
 
 つまり、現段階で『ゴ・エ・ミヨ』は『ミシュラン』の星付き店に相当する店を全国規模で評価すべく、その途上にあるとみなすことが出来ます。確かに『ミシュラン』の「ビブ・グルマン」に相当する評価基準として、それとは異なった「pop(ポップ)」という観点を導入しているのですがこれも問題が山積しているように思われます。筆者は評価を伴うレストランガイドである以上、中途半端な形での公表は大阪のフレンチの如く、誤解を招く可能性があるので控えるべきと考えます。
 
 さらに、会員頁では、『ミシュラン』も含め、日本におけるレストランガイドの問題について掘り下げて行きたいと思います。
 

第四十四回
コロナ禍の只中で「美食」について語る
――時評としての批評――

 この原稿を執筆している二〇二〇年四月、世界は新型コロナ感染症のパンデミックで未曾有の事態に陥っています。日本もまた、政府によって「緊急事態宣言」が発令され、外出自粛の要請が出ているもののなかなか終息の気配が見えません。そのような状況でこの連載をどのように書いたら良いのか、正直相当迷っています。日本の場合、欧米のような罰則を伴う外出禁止令が施行されている訳はありません。つまり、レストランなどは休業の要請を求められてはいますが、強制はされていません。つまり、政府は補償を義務付けられてはいないのです。欧米は禁止する以上、補償が前提となります。従って、日本の飲食業は前代未聞の危機に瀕しているのです。「美食」も当然、瀕死の状態にあります。では、筆者はそれについて「どのように」表現すれば良いのでしょう。後に振り替えるべく、ルポルタージュ風に書くべきか、それとも今こそ、希望を託してさらなる未来像を語るべきか。
 
 筆者が訳したピュドロフスキの『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』で、批評家と共に美食について語る職業にジャーナリストが挙げられています。著者も元々新聞記者から美食批評家に転身した人物です。そのジャーナリストをピュドロフスキは「クロニクール(chroniqueur)」と書いています。これは、例えば、chroniqueur sportifと書けば、新聞のスポーツ担当記者に相当します。つまり、ピュドロフウスキがchroniqueurと書くのは、chroniqueur gastronomique、文化欄の食に関する記事を書く記者ということになるでしょうか。単なるグルメ情報ではなく、食に関してまさに「文化的」視点から記事を書くことが出来る専門家。日本ではなかなか思いつかないのですが、いにしえの「料理の鉄人」で審査委員を務められた岸朝子先生の紹介が「料理記者歴云十年」だったのを懐かしく思い出します。
 
 筆者の念頭に浮かぶのは、毎日新聞のパリ支局長を務められた西川恵氏によるサントリー学芸賞を受賞した『エリゼ宮の食卓 その饗宴と美食外交』(新潮社 1996年)でしょうか。西川氏には『ワインと外交』(新潮社新書 2007年)など同様の著書が何冊かあります。フランスの大統領が外国の皇族、首相などを本国で迎える際、晩餐会で出される料理のメニュやワインの銘柄で、フランス政府がその客人をどのように評価しているかがわかるという内容です。天皇陛下であれば、最高級のボルドー、メドック第一級五大シャトーのワインが供されます。また、小泉純一郎氏のようなワイン好きには、氏が午年生まれ(1942年)なので、ボルドーはサンテミリオンの最高級ワイン(第一特別級A)の「シャトー・シュヴァル=ブラン」つまり「白馬」という名のワインが供された。つまり、フランスは彼のワイン好きに好意を持つと共に、首相としても第一級の人物と評価したのです。それに比して、某数カ月で交代することになった首相にはそれを見越してか、ボルドーの第五級クラスのワインしか出してくれなかったなどなど、興味深いエピソードに溢れた名著です。
 
 さて、この「クロニクール」、「クロノス」、「時間」という言葉から派生しています。「クロノス」は元々、ギリシア神話に登場する「時間の神」の名です。そこで筆者はピュドロフスキの翻訳の際、「クロニーク(chronique)」つまり、「食に関する記事」を文脈に合わせて「時評」とも訳しました。そして、筆者によって「毎月」書かれるこの連載もまた、「時評」としての側面を有することはお気づきのことと思います。例えば、年明けからは、年末の恒例行事『ミシュラン』についての記事に始まり、それに遅れること二か月ほどの『ゴ・エ・ミヨ』の批評といったように。これは決まった「時期」に行なわれる「美食」に関する「出来事」を記述するという意味での「時評」と言えましょう。
 
 しかし、「美食」に関する「時評」はこのようなものに限った訳ではありません。今回の「コロナ禍」が「美食」にどのような影響を与えているかを記すのも「時評」に他なりません。これは会員頁で書いてみたいと思います。ここでは、筆者の「美食」にまつわる「一連の」行為がくしくも、いかに「コロナ禍」を実感するに至ったかを記してみたいと思います。この時間の「流れ」=「経緯」を記すこともまた、「時評」の大切な側面です。というのも、持続しつつ、不可逆的に流れていくことこそ、「時間」の時間たる所以であり、古代ギリシアの哲学者、ヘラクレイトスは「パンタ レイ(万物は流転す)」と言い、日本人には「無常」という言葉でお馴染みの事柄なのです。
 
 さて、筆者には高校の同級生と季節ごとに車で出かけるという慣例行事があります。メンバーは決まっていて女性一名、男性三名。全員、出身校のある船橋近辺に住んでいて、女性が運転して下さる車でちょっと遠出するという趣向です。行く場所も決まっていて、浅草、横浜、そして花見に何処か。横浜は年二回で、中華と海岸通りにある北欧料理の老舗「スカンディア」に出かけるのが恒例。かれこれ、数年が経ちます。昨年(2019年)十月の最終土曜日に浅草に出かけ、次回は一月の最終土曜日に横浜で中華を食べようと決めたのです。十月の週末の浅草はすごい人だかりで外国人、とりわけ中国人で溢れかえっていました。今回はオープンして間もない「La Maison du一升VIN」に出かけました。前回書きましたように、最新の『ゴ・エ・ミヨ』に「pop」で掲載された店です。店主の岩倉久恵氏は神泉のカフェ「Blue」で日本ワインブームを牽引した業界の有名人。自然派(ビオ)中心と聞いていたのでブルゴーニュはあるに違いないと、筆者はワイン揃いに期待して出かけたのですが、案の定というか、シャンタル・レスキュールが置いてあったので予想以上に興奮してしまいました。
 
 で、問題の一月の横浜中華です。十月の時点ではまだコロナは存在していませんでした。実際は表面化していなかっただけかもしれませんが。年が明け、一月の最終土曜日は二十五日、中国の春節の開始日でした。もちろん、こちらは女性の仕事の関係で土曜日と決まっていましたので、一月の土曜日で全員の都合が良かったのが二十五日だったというまでです。すでに年末までに、武漢で原因不明の肺炎が蔓延していることがWHOに報告され、年が明け、一月七日に新型コロナウイルス判明。十二日に中国で初の死者、十三日に中国以外での感染確認、十六日には国内初の感染を確認(武漢から帰国した中国人男性)、二十日には人から人への感染が明らかになりました。中国は二十五日からの春節のための民族大移動を控え、二十三日に武漢を封鎖したのですが、それまでに半数の市民が武漢を脱出したとの報道もありました。近年、日本はインバウンド景気を期待し、その中心が中国人だったのです。その影響か、この病気を甘く見たのかはわかりませんが、春節の民族移動に際し、台湾などは中国全土からの入国を早々に制限したのですが、日本は何故か武漢市及び武漢のある湖北省からの入国だけを禁じ、他の中国からの旅行者を迎え入れてしまったのです。
 
 そして、迎えた春節最初の日。持病のある筆者は重症化する可能性があるグループなので、中華を食べに横浜に行くのは不安でした。中華街に行く予定でしたので。いつも、食事の前に元町を散策し、お茶などするのが恒例ですので今回も霧笛楼のカフェに出かけることに。中華街のいつも使うパーキングに車を停めて、道に出ると、何台もの大型バスが通り過ぎ、バス専用のパーキングへ。そちらを見るとゾクゾクと中国人観光客の団体と思われる人々が出てくるではないですか。「これはダメだ。きっと蔓延する」と筆者はその時確信したのです。「申し訳ないが元町に行くのに中華街の中を通りたくない」と友人たちにお願いし、「中華街での食事も避けたい」と。友人たちもあの団体の群れを見て、納得したようで、ただ女性がどうしても中華が食べたいというので、筆者はすかさず、「横浜駅前の崎陽軒の中華が良いのでは」と提案。皆もそれなら良かろうと霧笛楼でお茶したのち、駅前に移動し、崎陽軒ビルの「嘉宮」で食事した次第です。同じ本社ビルにはイタリアンと居酒屋もあり、「嘉宮」は東京で言えば、「銀座アスター」というか、日本風高級中華の典型のような店で快適なサーヴィスで高級食材が使われる定番中華を堪能した次第です。
 
 ちなみに、崎陽軒の「軒」は「精養軒」とか「小川軒」の「軒」ではなく、主要駅で駅弁を作る大手仕出し屋といった趣でしょうか、駅近に結婚式場などを備えた「会館」のような施設を持っています。筆者の知るのは、千葉市の「万葉軒」(「焼きはま(蛤)弁当」が有名)、亡き両親の実家のある静岡市の「東海軒」(「鯛めし」は筆者の子供の頃の思い出の味です)。最愛の祖父、斉藤善次郎がまだ存命だった時、「東海軒」で叔母が結婚式を挙げ、花束贈呈を早くして亡くなったいとこと一緒に行ないました。
 
 目の前で北京ダックをサーヴィスしてくれたり、弁当とはグレイドの違う高級「シュウマイ」の食べ比べなどもあり、これはこれで「軒」の中華を楽しんだ後は、千葉に戻り、これまた恒例の(女性の顔の)「ホテル ニューオータニ幕張」最上階のバー「ベイコートカフェ」でワインを楽しみました。この時はまだロビーに中国人の客が大勢いて、何とも不安になったのですが、どういう訳かバーには中国人は見当たらず、マネージャーも珍しいと言っていたのを覚えています。
 
 この時はまだ、武漢からの帰国チャーター便(一月二十九日)、ダイヤモンドプリンセスの集団感染判明(二月五日)も起こってはいませんでした。日本人初の感染者が確認されたのも一月二十八日、この会食の後です。チャーター便やクルーズ船に世間の目が釘付けになったのは、検疫、即ち、水際でコロナを国内に入れないことにかかっていると皆が考えたからに違いありません。しかし、筆者からすれば見当違いも甚だしいと。注視すべきは中国からの入国者のはずなのに、帰国者やクルーズ船の乗客が感染しているか否かに一喜一憂するばかり。しかも、この横浜での光景からもすでにコロナは上陸しており、しかも、団体旅行こそ中国政府によって禁止されたものの(一月二十七日)、個人の資格ではその後も自由に入国出来ていたのですから。
 
 筆者は昨年と同様に横浜中華を楽しみに出かけただけなのに、それはコロナの流行を確信させることとなったのです。そして、この四人での会食はこれも昨年同様、次回は花見ということで四月の最初の土曜日ということにこの日決めたのでした。房総半島をドライブして桜の名所での花見(昨年は館山城)。そして南房総でクジラを食し、久留里で酒蔵に寄って、最後はニューオータニ幕張で。それがとんでもない結果に終わろうとはさすがにその時、筆者も思ってはいませんでした。コロナ禍が美食に大打撃を与える事故の顛末については会員頁で書くことといたしましょう。
 

第四十五回
コロナ禍の只中で「美食」について語る 2
――デジュネそしてテイクアウト――

 四月七日、日本全国に発令された「緊急事態宣言」はその自粛の期限を一応、五月六日までとされました。つまり、ゴールデンウィーク明けまでということです。時期がたまたま重なったとは言え、発令日は期限から逆算してちょうど一か月前に設定されたことになりましょう。早いところでは四月の最終週末(二十五日が土曜日)から休みになるそうですから、二週間近く休みになる訳です。通常であれば、皆さん旅行に出かけられるのでしょうが、海外渡航がほぼ不可能な状況で、国内で移動されれば全国に感染が拡大する。そこで「ステイホーム週間」にして欲しいと政治家はもとより、芸能人も総出でテレヴィCMなどを用いて喧伝されたのです。その成果はゴールデンウィーク明けから一週間後の五月十四日、首都圏、関西圏などを除く全国三十九県での宣言「解除」という形で実を結びました。
 
 それまでも「コロナ疎開」と呼ばれ、感染率の高い都会の人々が自身の住む土地へ移動して来ることに懸念を抱いていた地方に住む人々はここにある程度の日常を取り戻したように思われるのですが、地方はあの「インバウンド」など観光にその生活の糧を見出していましたから、外国人が来られないだけでなく、都会からの旅行客を望めないのはやはり死活問題でもあるのです。実際、筆者は毎年六月に群馬県の伊香保温泉にある「ホテル木暮」で一泊の「ワイン合宿」なるワイン仲間との泊りがけのワイン会を行なっていますが。今年は中止となりました。宣言発令と同時に五月一杯の休業を決めていたホテルは、宣言が首都圏では解除されなかったのを受けて、六月末まで休業を延長してしまったからです。実は、伊香保一の規模を誇る「ホテル木暮」の若女将ご夫妻がそのワイン仲間で、我々首都圏組数名は最上階の貴賓室「天空の間」に、若女将ご夫妻は隣の特別室に泊まられ、心置きなくワインを飲もうという会をもう十年近く続けてきました。今年初めに「天空の間」が改装されたのでそのお披露目とお祝いもあり、皆さん例年以上に楽しみにしておられたのです。弁護士のS先生などは奮発され、2000年のムートンを持参するとおっしゃっていたので残念です。オリンピック需要も今年は見込めませんし、観光業界の方々も大変な状況であること、飲食と変わりありません。
 
 さて、筆者はゴールデンウィーク、何も予定を入れていませんでした。というのも、オリンピック開催のため、大学は開会式の前までに前期を終えていなければならないという文科省のお達しに従い、ゴールデンウィーク中も授業を行なうことでその命令を達成しようとしたからです。それに加え、今度はオンライン授業の導入も命じたので、四月以降、週二回ほどの買い物以外ほとんど外出することもなく、誰とも会わず、皮肉にも大変優秀な自粛の実行者となっている次第です。筆者が外食するフレンチ業界も夜の営業が午後8時まででは成り立たず、多くの店が休業状態になっていることは前回お話しました。ですから、筆者としても出かけようにも出かけられないのです。
 
 ただ、そんな自粛を続けるのもストレスであることに違いありません。自粛を続けるにも何かご褒美のようなものが必要と筆者は考えます。来月お気に入りのフレンチに出かけるから、頑張って仕事しようとか、私たちは何か日常でもそのような行動を取っているものです。実は四月、そのような僥倖が二度ばかりありました。それは、おなじみの元代々木町「シャントレル」と筆者の住む千葉県八千代市にあるイタリアン「エッタ(etta」でのランチでした。
 
 時計のねじを巻き戻して、前回の連載の緊急事態宣言までのドタバタを思い出して下さい。筆者は大事な食事は二か月前に予約することにしています。とりわけお気に入りのシャントレルでのディナーは一番奥のカウンター席でないと落ち着きませんので必ずそうしています。五月の終わりの方で大切なディナーがありますので、二か月前の三月の二十日過ぎに予約を入れました。偶然にもそれはあの筆者のワイン会を大騒ぎさせた小池都知事の「感染爆発の重大局面」発言のほんの二、三日前だったのです。筆者は電話があまり得意でないのと勝手知ったるシャントレルですので最近はネット予約を使っています。すると、その日のうちに中田シェフから電話がかかって参りました。聞くと、二月二十七日の安倍首相による自粛要請以来、デジュネ(ランチ)は土日だけでディナー営業中心のシャントレルはキャンセルが相次ぎ、全員キャンセルの日もあり、休業しようか迷っているとのことでした。ただ、自分の五月の予約など顧客の予約には応えたいと思っていて、四月十八日の土曜日に大切な顧客の方の予約が入っているのでその日は開けるつもりである、と。運よく、ちょうどその日、筆者は都内で所用が入っていましたので、終わったら、自分も駆けつけるので席を用意して欲しいとお願いし、承諾を得たのでした。そうこうするうちに、小池都知事の要請で夜営業は午後八時までとなってしまい、結局、中田シェフは店を休業し、お上の推奨するテイクアウトのみ営業することにされたのです。
 
 しかし、四月十八日は特別、デジュネ営業されるというではありませんか。ちょうど筆者は都内の所用が自粛でキャンセルになったので、デジュネに出かけることになったのです。その日は前夜から暴風雨になってしまい、あまりひどければタクシーで都内まで出る覚悟をしていました。雨は随分降っていましたが風がそれほど強くなかったので、強風ですぐ止まってしまう筆者の使う地下鉄東西線も通常運転していましたので電車で出かけました。週末の自粛の上に天気が悪かったので電車は空いており、久しぶりに都内に出ましたが人もまばらでした。十二時半スタートで、十二名座れるカウンターと、八名座れるテーブル席に結局四組。筆者を含め、二名が三組。当該の顧客の方は三名。フランス人の御主人と日本人の奥様、そして娘さんでした。筆者はいつもの一番奥のカウンター席。離れたところのカンターに顧客のご家族が。あとのカップル二組はテーブル席の両端に。テーブル席のカップルの一組は女性がお誕生日でした。
 
 筆者はこの店にはデジュネではあまり出かけません。土日なのでだいたい満席で、ゆったり食事する雰囲気ではないからです。筆者は昼でもワインを必ず一本は頼んでゆるゆる食事するのでテンポが合わないというか。でも、この日は最初からリラックスして楽しめそうでした。グラスのシャンパーニュを頼んで、ワインリストを眺め、テイクアウトのメニュを見せてもらいながら、連れを待つもなかなか来ないのでグラスが空に。ではと、御主人がフランス人、奥様が日本人の醸造家夫妻がボーヌに開いた「シャントレーヴ」のブルゴーニュ白をグラスで飲み始めるとようやく到着。手洗い等を済ませてもらい、彼はシャンパーニュで久しぶりの再会にまずは乾杯。ワインはヴァンサン・ダンセールの「ボーヌ、プルミエクリュ、レ・モントゥルヴノ 2008年」に。白の名手の作る赤はヴィンテージのせいもあってか、やわらかでスムース。偉大さより上品さが特徴のチャーミングな逸品。
 
 料理はいつものディナーよりはもちろん簡素で、今回はアスペルジュが主役とも言えるコースに。白、緑両方が違う料理法で供されました。白は茹でたものを冷やして食感を残しながら、魚介類と合わせるヴィネグレット仕立て。緑はクタクタになるまで煮て、煮汁にバターと塩だけで味付けした温製。これは実に見事でシンプルながら、素材そのものの美味しさが身体に染み通るよう。これこそ、滋味豊かというのでしょう。これらの料理を食べながら、筆者はかのブリヤ=サヴァラン『美味礼讃』の一エピソードを思い出しました。それは確か、食いしん坊の神父さんが植えてあったアスペルジュをこっそり食べてしまい、見つからないよう絵をかいてごまかしたといったものだった、と。それほどまでにアスペルジュはご馳走なのです。メインはテイクアウトにも使われているラグー・ド・ヴォーでした。通常のディナーではメインに煮込み料理が出ることはありませんので新鮮でした。テイクアウトの方が仕込みに時間がかかって大変とシェフがおっしゃるのもごもっとも。ご近所の方たちはこのような贅沢な逸品を手頃な値段で楽しめるのですから羨ましい。ミシュラン星付き店ですよ。しかも、一切手抜きのない仕事。フランス料理の基本を身近に知るいい機会なのかもしれません。コロナ禍の中のまさに「不幸中の幸い」。
 
 もう一つの僥倖は、筆者の住む千葉のベッドタウンにも実に美味なる料理を出す店があるのを知る機会があったことです。外食が元々好きではなく、外食するとしても仕事柄都内で食べることになる筆者は、地元のレストランに出かけることは滅多にありません。昨年、隣の駅に隣接する商業ビルにパスポートセンターが出来ました。それまで、電車を乗り継いで千葉駅近くの旅券センターまで出かけていたのですから有難いことです。ちょうど、この春休みに更新しなくてはと思っていたので、このコロナ禍でかえって空いているだろうと思い出かけることに。折角なので、家の近くに住むあの高校の同級生の会食メンバーH氏にランチでワインしませんかと声をかけるとご一緒下さるとのこと。駅近に「エッタ」という評判のイタリアンがあるというので電話してみると、一応開ける予定というので、予約制のお任せコースを。前の月の筆者の東麻布のトラットリアでのワイン会にも来て下さったH氏とイタリアワインの復習にちょうど良いと、筆者もここはイタリアワインを所望することに。というか、さすがに八千代あたりで上質のブルゴーニュというのはなかなか難しいことで。
 
 店を訪れるとまだ若い店主が一人で腕を振るっておられました。まず、感心したのがワインリスト。フランスは無く、ほとんどがイタリアでスペインも散見されるのですが、そのワイン揃いが素晴らしい。トスカーナが主流で特定の作り手を推奨する頁もありました。ただ、筆者は最近ブルゴーニュ一辺倒ですので、イタリアではネッビオーロ、即ちピエモンテが飲みたかったのです。バローロとかもありましたが、昼から飲むにはちょっと贅沢過ぎるというか、H氏は絶対割り勘でとおっしゃって下さいますので、あまり高くついても申し訳ないと。そこで選んだのはピノ・ネロ。つまり、ピノ・ノワールでした。「サンクト・ヴァレンティン 2011年」。作っている地方はアルト・アディジェ。エチケットにシュドティロル(南チロル)とドイツ語で併記されているように、イタリア最北、オーストリアとの国境地帯です。ドイツワインの赤がピノ・ノワール(ドイツ語でシュペートブルグンダー〔筆者の飲んだワインのようにブラウブルグンダーという場合もある〕)であることからもイタリアでピノ・ノワールに適した場所なのです。十年近く寝かせて飲み頃でリストアップしているのも素晴らしい。スムースにこなれて飲みやすく、ブルゴーニュに比べるとアフターにやや甘みが感じられました。フィンガーフード的なアンティパストミストが十種類くらい出て、ワインと合うこと、合うこと。あっという間にブテイユが空いてしまい、二本目を頼むことに。手頃なピエモンテを発見。ビオらしいのですが、「マリデア、モンフェラートロッソ、2010年」。これも十年物で確かにちょっと個性的でしたがカリテプリ感のある良いワインでした。メインの後、締めにパスタを出すのがちょっと日本風でユニーク。筆者は少食なので健啖家のH氏にパスタは任せて。どの料理も新しいイタリアンで都内の一流店に引けを取らない出来。
 
 自粛の中、贅沢な昼のひと時を過ごせて、その喜びで細かい料理のチェックはどちらの店でも忘れてしまいました。五月もご褒美に両店へ出かける予定ですので、今度は冷静な批評も忘れずに。その成果は会員用でご披露したいと思います。
 

目次

著者Profile

関 修(せき おさむ)

フランス現代思想
文化論
(主にセクシュアリティ精神分析理論/ポピュラーカルチャースタディ)
現在、明治大学法学部非常勤講師。
2014年、明治大学で行われた「嵐のPVを見るだけの授業」が話題となった。
 

経歴

1980年:千葉県立船橋高等学校卒業
1984年:千葉大学教育学部卒業 
1990年:東洋大学大学院文学研究科哲学専攻博士後期課程単位取得満期退学、東洋大学文学部非常勤講師 
1992年:東洋大学文学部哲学科助手
1994年:明治大学法学部非常勤講師  、他に、岩手大学、専修大学、日本工業大学などで非常勤講師を務める 
 

著書

『挑発するセクシュアリティ』(編著、新泉社)
『知った気でいるあなたのためのセクシュアリティ入門』(編著、夏目書房)
『美男論序説』(夏目書房)
『隣の嵐くん~カリスマなき時代の偶像』(サイゾー)
『「嵐」的、あまりに「嵐」的な』(サイゾー)
 

翻訳[編集]

G・オッカンガム『ホモセクシュアルな欲望』(学陽書房,1993年)
R・サミュエルズ『哲学による精神分析入門』(夏目書房,2005年)
M・フェルステル『欲望の思考』(富士書店,2009年)
 

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