美食批評への誘い  Vol.56~60

クリティーク・ガストロノミック

 
フランス現代思想家

関  修(せき おさむ)

第五十六回
世に同好の士は多かれど
――Facebookに見るワイン事情――

 Facebookを始めて数か月。自分はブログで実現出来なかった日々の「クリティーク=批評・批判」の実践の場と位置づけ、いくつかのテーマに関して毎日一つ文章をアップするよう努力しています。美食については食事に出かけた際、その模様を画像でアップし、後日、飲んだワインに関して論評するという形を取っています。ワインを飲みますので、当日帰宅してクリティカルな文章を書くのは難しく、その日は報告だけになってしまいます。ほとんどの方が日々の出来事の報告をFacebookの使用目的とされているようですので、筆者のスタイルは例外的というか少数派というか。この場合、後日、ワインはエチケットを添付して批評しやすいのですが、料理に関してはどうしても個々に論評するわけにもいかず、ブログでのある程度まとまった文章を書く必要性が出てきます。しかし、毎日Facebookに批判的エッセをアップするとなるとその上にブログまで書く余裕は今の筆者にはなく、ちょっとしたディレンマを感じます。  
 
 また、ワインに関しては「エチケットは語る」という筆者のエチケット剥し(ヴァンテックス)のコレクションからアップするに足るものを選んで紹介しています。1995年、パリで飲んだワインのエチケットを全部紹介し終わり、1997年に飲んだワインを紹介し始めたのですが、ここで気づいたことはすべてのエチケットを紹介するつもりはないことです。当時、人生で一番ワインを飲んだ時期にあたり、外で飲んで帰っても、二日で一本、ボルドーのブテイユを家で空けていました。しかし、家で飲んだワインまで紹介していると、三十年近く集めたエチケット、ほんの一部の年月しか紹介出来ないでしょう。するとどうしても希少性のあるものや高価なものばかりが選ばれることになり、日常飲みのワインをどの程度紹介するかは頭を悩ませることになりそうです。
 
 もちろん、日々の出来事をアップするのも取捨選択しているのであり、そこには何らの基準や理由があるに違いありません。しかし、筆者の場合、あくまで批評の対象として選ぶ必要性がありますので、さらなる別のフィルターが存在することになります。
 
 というのも、Facebookにはグループという機能があり、様々なテーマで集ういくつものグループがあり、公開、非公開で情報を発信しています。筆者は「建築」や「クラシック音楽」にも興味があるのですが、ともかくどんなものなのか、ものは試しと「ワイン」に関するグループに入ろうと調べたら、まあワインだけで膨大な数のグループがあるではありませんか。こういう時、Facebookが便利というか、ある種の誘導なのですが、お友達が入っているグループが優先的に出てくるようになっているのです。で、数名のお友達が参加されているグループに入ってみることにしました。一つですと比較する対象がありませんので、対照的なグループを二つ選んでみました。一方はメンバーが一万四千人でプライベートグループの「東京ワイン倶楽部」、もう一方はメンバーが1700人弱で公開グループの「SNW『死ぬまでに飲んでおきたいワインの会』」です。
 
 興味深いのはメンバーが多い方がプライベートつまりメンバー間でのみ閲覧可能になっており、メンバーが少ない方が公開になっていることです、まあ、後者はテーマが「死ぬまでに飲んでおきたいワイン」ですので気軽な日常のワイン生活の報告とはいかないわけで、しかもそれだけ貴重なワインであれば、一人でも多くの方に知って欲しいというのも頷けます。実際のところ、あまり投稿されていないようで時折見かける感じでしょうか。それに比べ、前者はともかく凄い投稿数でFacebookを開けると必ず上の方に数軒の投稿が載っています。まあ、一万四千人のフォロワーを持つブロガーのようなもので、しかも投稿したものは確実にフォロワーのFacebookに掲載されますのでプライベートというか、今流行りのちょっとした「サロン」のようなものではないでしょうか。ただ、所属しているグループ以外の情報、「建築」などのグループの情報、さらにワインですと「広告」、様々なインポーターのネット販売にリンクするもの、また筆者の場合は、外国のいくつものオーケストラのサイトの紹介、さらにNHKのアーカイヴの投稿など、自動的でしょうがともかく色々な投稿が掲示され、肝心のお友達の投稿を探すのに一苦労するという有様。
 
 筆者はお友達がどのような投稿をされているのか、結構気になる方です。また、「いいね」を押して下さっている方の投稿を自分が無視するのは失礼ではないかと思ってしまう質です。まだそれほどお友達の数が多くないのにこの混乱ぶりですので、何百人、上限の五千人に近い友達を抱える方のFacebookにはどのような取捨選択の結果が表示されているのか、まったく想像できません。三十名までの「お気に入り」指定したの方の投稿が優先的に表示されるらしいのですが、そうなるとそれ以外の友達は膨大な数の広告やら何やらにまぎれて目に留まりにくくなる、見落としてしまうのではないか、と。
 
 その点、この「グループ」というのは「同好の士」であって「友達」ではないので、その方がどのような方で他にどのような投稿を行なっているか気にすることなく、グループのテーマに関する当該の投稿だけチェックすれば良いので気が楽です。というか、筆者の場合、「ワイン」だからでしょうか、投稿された「同好の士」の「人となり」などほとんど興味がなく、ただただ紹介されたワインだけをチェックしているだけです。とりわけ、「東京ワイン倶楽部」の方は日々のワイン生活の報告なので、畢竟、金持ちか一般庶民かの二者択一になってしまいますので、背景は捨象して、紹介されるワインの銘柄とその紹介の仕方だけに着目して、そこから様々な傾向を導出するのがよろしいかと思われます。
 
 いくつかの大きな傾向を挙げてみましょう。
 まず、家で飲むか、外で飲むかがはっきりしていることです。毎日のように同じ店で飲んでいるワインを紹介されている方がいらっしゃいます。それもその店を含むある系列店に通われている方たちが結構の数いらっしゃるようで。まさに同好の士なのかもしれませんし、関係者なのではないかと疑ったりしてしまったり。いずれにせよ、筆者はその系列店を評価していません。ワインの値付けも高いし、さほど品揃えも良いとは思えませんので。面白いのは、外飲みの場合、高級レストランでの食事について報告する方は滅多にいないということです。個人的には、今流行りのミシュラン一つ星クラスの店はどのようなワイン揃いで、ワイン通を名乗る皆さんがどのようなワインをオーダーされるのか、そうしたことが知りたいのですがそういった投稿は見かけたことがありません。外飲みは某系列店のようないわゆるワインバー的なものか、あるいは同好の士によるワイン会か。
 
 それに対して、家飲みは料理中心というか、まあ晩酌的なものの投稿なのでしょうから色々料理は並ぶのでしょうが。象徴的だったのはお正月。おせち料理だのまあこれぞというばかりにご馳走の写真が何枚もアップされ、肝心のワインはまるでおまけのように料理の脇に置かれているだけだったりして。ですので、家飲みの場合、圧倒的にシャンパーニュが紹介されることになります。セオリーからして、シャンパーニュほど料理を選ばず、何ともマリアージュ可能なワインは他に存在しません。興味深いのは、スパークリングなら何でもいい訳ではなさそうで、皆さんシャンパーニュを選ばれること。もちろん、日本ワイン愛好家の方は日本のスパークリングですし、イタリアワインの愛好家の方はフランチャコルタやプロセッコなどを飲まれていますが、これらはあくまで自分の好きな国のワインが第一選択条件でスパークリングはTPOに従っただけ。それに対して、料理自慢の方たちはスパークリングであることが第一条件なのでしょうが、何故かシャンパーニュにこだわりがあるようで。
 
 個人的には大変良い趣味だと思います。2000円ほどでもシャンパーニュは買える物があるのですが、皆さん美味しくないとおっしゃるが、同じ値段のクレマンと比べてみれば、シャンパーニュはシャンパーニュな訳で、クレマンとしては標準価格でしょうが、「腐ってもシャンパーニュ」とでも申しますか、やはり安シャンパーニュの方が美味しいのです。クレマンで美味しいなあと思ったのは、代官山にあるアルザス料理のタルト・フランベの専門店「コテ・フ」で出されたものくらいでしょうか。もちろん、クレマン・ダルザスなのですが、値段的には通常のグラスシャンパーニュと同じ値段ですので、シャンパーニュに匹敵するという形でカリテプリな訳ではありません。また、イタリアのフランチャコルタもシャンパーニュ方式で造られ、味もシャンパーニュに劣りませんが値段もシャンパーニュと同じくらい高いです。本来なら、スペインの「カヴァ」が選ばれてしかるべきなのですが、見かけたことがありません。シャンパーニュ方式で造られていて、価格は1000円台ですみますので家飲みスパークリングとしては最適なのではないかと思うのですが。確かに筆者もカヴァをあえて飲もうとは思いません。スペイン料理屋に出かけ、食前酒にスパークリングがカヴァしかなければ頼もうと思うか思わないかくらいです。
 
 しかし、それは味云々というより、ご馳走には「シャンパーニュ」というブランドが相応しいからではないでしょうか。それがフランス料理である必要はなく、おせちはもとより、中華でも寿司でも、はたまた我が家自慢の「肉じゃが」でさえ、シャンパーニュと並べることでまさに「映え」するからではないかと思われるのです。
 
 それに比べるとスティルワインは平気でコンビニで買ったようなワインが登場します。でも、逆説的にも思われますが、この場合、あくまで主役はワインの方で、一緒に写っている料理はまさしく「つまみ」程度の意味しか持っていないと考えられます。今日はワインショップによる時間がなかったので、コンビニで買ったワインでご勘弁。毎日欠かさずワインで晩酌するまさにワインのある日常を一万四千人のフォロワーに伝えるために。
 
 こうして、スティルワインに関しては、高価なワインかコンビニワインのようなデイリーワインかの二極化が生じてしまい、肝心の「ワインを知るに相応しい適正価格のワイン」がゴッソリ抜け落ちてしまっているように思われます。会員用ではこの問題について論じてみたいと思います。
 

第五十七回
緊急事態宣言下の飲食
――酒の提供禁止と地域差――

 コロナ禍に際して、三回目の緊急事態宣言が425日に発令されました。当初は511日までの短期間ということでしたが、感染状況は好転せず、5月末まで延長。さらに執筆時では620日まで引き延ばされました。今回の措置で特徴的なのは、飲食の時短営業を許可するもののその際、酒の提供は禁止されたということです。ほぼ一年前の最初の緊急事態宣言では保証を担保に営業そのものを自粛。第二回目は「夜の街関連」という言葉が流布したように、時短営業で感染を抑えようとしました。しかし、今回は飲食、特に酒を伴う飲食が最大の感染源であるという考えのもと、酒の提供ということがクローズアップされ、禁止されることになったのです。しかも、「緊急事態宣言」が都道府県単位なのに対し、一部の地域限定の「まん延防止等重点措置」という緊急事態宣言に準ずる感染防止措置を行なう地域が加わり、全国が三種類の感染対策地域に分類されることになりました。
 
 この原稿を書いている20215月、筆者はこの三つの地域すべてで外食することになりました。まず、筆者が住んでいる千葉県八千代市は「まん延防止等重点措置」地域に該当します。そして、筆者が仕事で通う東京都は「緊急事態宣言」下。さらに、亡き両親の実家のある静岡県静岡市に出かける用があり、静岡県ではこれらの措置は取られていません。
 
 大学は緊急事態宣言下ではオンライン授業が行われますので、基礎疾患のある筆者は家から出ることはほとんどありません。食料品を買いに週に二回ほど近くのスーパー、コンビニに出かけるくらいです。しかし、静岡に出かけるので美容院に行くことにしました。行きつけの美容院は渋谷にありますので、この半年ほど怖くて髪を切りに出かけることが出来ませんでした。今回も運悪く、緊急事態宣言下になってしまい、戸惑いもあったのですが、意を決して出かけました。折角なので、何処かで食事して帰ろうと思った次第です。コロナ禍になる前、HPのワイン会などでお世話になった神泉の「ビストロ パルタジェ」が近くなので、ご無沙汰してしまっていることもあり、どんな状況かも知りたく、電話してみると「タンシチュー専門で営業しています」との返事が。ともかくも出かけてみることにしました。パルタジェは、通常、メニュはアラカルトのみで、種類豊富なグラスワインと共に楽しむタイプのビストロです。野本シェフの料理はどれも手が込んでいて、美味しく、筆者はブルゴーニュをブテイユで用意してもらって、楽しませていただいています。
 
 とりわけ、このようなタイプのフレンチは今回の措置で大きな影響を受けることになるでしょう。お任せコース主体のグランメゾン系は飲み物をノンアルコールのペアリングなどでカヴァーして、料理はそのままで営業を続けているようです。筆者の懇意にさせていただいている「シャントレル」の中田シェフに伺うと、顧客の方々の応援もあり、それなりに人は入っているとのこと。さすがに、筆者はワインの無いフレンチにはわざわざ出かけようとは思いません。また、基本、外食はフレンチ以外に出かけることのない筆者にとって、ワインが飲めないのであれば、外食する必要はないというのが現状です。ですので、パルタジェが一時的にも「タンシチュー専門」に切り替えたのは正解というか、休業以外の選択肢としては苦肉の策とはいえ、納得のいくものでした。ただし、夜だけの営業の店ですので厳しいものがあると思った次第です。筆者の訪れた日は結局、筆者たちだけしか客はいませんでした。折角来てくださったので、と魚料理を作ってくださり、それも美味しくいただきました。タンシチューはソースが三種類あり、デミグラス、ホワイト、そしてグラーシュのようなトマトを効かせたものだそうです。筆者はデミグラスを食べました。洋食風の甘酸っぱい感じが懐かしい。
 
 そう言えば、「タンシチュー」などというメニュを食するのは久しくなかったなあ、と。すると、ふいに思い出したのです。大学生の頃ですから、四十年くらい前になりますか、船橋の東武百貨店のレストラン街に、ロッキー青木さんがニューヨークで成功させ、逆輸入の形となったチェーン店の「紅花」が入っていて、なかなかのお値段だったのですが、何故か筆者はいつも「タンシチュー」を頼んでいたことを。同じレストラン街には映画評論家でグルメの荻昌弘さん御用達の「サンドイッチ グルメ」や「上野精養軒」など、美食修業時代の若き筆者にとって、良き学びの場でもありました。何せ、駅の反対側の船橋西武にはあのプリンスホテルのフレンチメインダイニング「トリアノン」の支店が入っており、そこで食した「舌平目のオランデーズソースグラタン」は衝撃的でもう一度食してみたいと思う一品でした。
 
 パルタジェでいただいた「タンシチュー」はプルーストの『失われた時を求めて』のマドレーヌの挿話ではありませんが、筆者を様々な過去の経験へと導いてくれました。しかし、これはあくまで一時のものであって、早く、いつもの美味しく楽しい店に戻っていただき、また貸し切りのワイン会など、筆者の美食の実践の場として使わせていただけることを切に願うばかりです。野本シェフには何とかこの苦境を耐えて切り抜けていただきたく、祈ることしか出来ない自分が何とも不甲斐なく思います。
 
 さて、この渋谷詣で感染することもなく、無事に静岡への旅に出かけることが出来ました。旅の詳細は会員用で書かせていただきますが、昨年九月に引き続き、静岡市出身の中田シェフと合流し、「カワサキ」に出かけました。また、島田市にあるラーメン「ル・デッサン」にもご一緒し、かつて牛込柳町で同名のフレンチを営んでおられた増田シェフにも十七年ぶりにお目にかかることが出来ました。
 
 静岡市は筆者の訪れる前感染者が増加し、注意喚起は行われたようですが時短等の措置は行われなかったそうです。筆者の訪れた時は減少傾向にあり、町を歩く人々はマスクを着用していましたが、一歩飲食店に入ると皆さん、マスクを外して食事されていました。首都圏では久しく時短の上お酒が飲めませんので、静岡市の通常営業している飲食店のほうが不思議に思われるのは何とも皮肉な話です。今回、宿も「ビル泊」という街に点在するビルの中の使われていない部屋をリノベした宿泊施設に泊まりましたので他の宿泊客と接することもなく、車移動でしたし、不特定多数の人と接するのは飲食の場しかありませんでした。訪れたフレンチ、「カワサキ」、「キャラバン」共にカウンターでの食事となりました。「カワサキ」は河崎シェフ一人で切り盛りされています。筆者の訪れた際は自分たちが三名で、あと五名のグループのお客様だけでしたが全員カウンターで、アクリル板などもなく普通の席の間隔でカウンターもあと一席残るだけの満員でした。「キャラバン」も同様で、カウンターもテーブルも満席で人気店であることがよくわかりました。中田シェフの「シャントレル」など同じカウンターでも元々席の間隔が広く、それをさらに広げ、アクリル板でグループごとに仕切りをしています。飲食で感染する、酒を飲むとさらにその確率が増すと言われていますが、グランメゾン級のレストランの室内環境でもそうなのでしょうか。今一つ、エヴィデンスが不明瞭な気がします。あれほど、騒いだ「夜の街関連」は聞くと通常営業しているということです。もちろん、協力金など貰ってはいないし、感染対策も行なっているそうですが。
 
 さらに困惑するのが筆者の住む千葉県のような「まん延防止等重点措置」地域です。静岡から帰って間もなく、高校の同級生の誕生日の会食を四名で行ないました。季節ごとに食事に出かける四人組なのですが、今年は還暦なので誕生日のお祝いもしようということに。さて、問題はどこで食事するかです。今回誕生日を迎える方は幕張にお住まいで、千葉市も「まん防」の対象地域ですので、酒類は禁止で八時までの時短営業です。ところが、例えば、筆者の住む八千代市は同様ですが、拙宅から二十分ほど歩くと隣の佐倉市になるのですが、佐倉市は「まん防」の対象外ですので、通常営業で酒類の提供も可能なのです。そこで、対象外の臼井に顔なじみのフレンチがあるのでどうかと仲間の一人から提案がありました。結局、主賓の誕生日を迎える知人が自分の顔の利く海浜幕張の「ホテルニューオータニ幕張」を指定したので、ノンアルコールワインを持ち寄っての会食となりました。メインダイニング「SATSUKI」でのバイキングでしたが、土曜日の夜ということもあり、家族連れで結構な混みようでした。もちろん、ホテルですので、テーブル間のスペースは広々取ってありましたが、テーブルでは皆マスクを外して食事していましたし、子供たちはマスクせずにレストラン内を駆け回っていました。
 
 ノンアルコールワインを三種類ほどテイスティングしてみましたが、やはりワインとはまったくの別物で食事の進まないこと。さすがに宴会でもない限り、ホテルで飲んだくれる人はいないでしょうし、時短は致し方ないとしても酒類の提供を禁止する必要まであるのか、やはり疑問に思いました。
バイキングと言えば、静岡から帰る前に「日本平ホテル」の「ザ・テラス」でバイキングランチをしました。天井の高い一面ガラス張りでガラス越しに駿河湾と富士山を眺めながら食事出来る絶景レストランとして有名な店です。テーブルもゆったりと配置されていて、料理を取るときに使い捨て手袋を着用するくらいで、あとは通常の営業でした。家族連れもいましたが、そこは「日本平ホテル」ですので皆マナーを守って食事していました。筆者は「ビコーズ」という某インポーターが選んだセパージュ別のシリーズからフランスワインのグルナッシュをグラスで二杯ほど。グラスワインは飲まないことにしていますが、連れは車ですし、ここは試しに、と。景色が素晴らしく、ワインも美味しく感じました。やはり、空間の使い方の問題ではないでしょうか。まあ、そうなると居酒屋だけが標的になってしまいますので一律禁止なのでしょうが。
 
 早く元に戻ってほしいと思うのですが、オリンピックも控えていることから620日に解除されても飲食への制限は何かしら残りそうですし、またもや酒類禁止となれば、いよいよ立ち行かなくなる飲食店、酒屋など関連企業は増すばかりでしょう。四十年の歴史を誇る乃木坂の名店「レストラン フウ」も六月いっぱいで閉店とか。昨年閉店した「クレッセント」といい、日本のフレンチを支えてきた名店が無くなっていくのを目の当たりにするのは心苦しいばかり。何か打開策を考えなければ、と思案中です。
 
 最後にもう一つ、嬉しい再会を。Facebookを始めたことで、以前お付き合いのあった方々の動向をFacebookでチェックすることが出来るようになりました。筆者がワインの師匠と尊敬する「ル・マエストロ ポール・ボキューズ トキオ」のシェフソムリエだった坂井秀行氏が日本橋高島屋のワイン売り場にいらっしゃるらしいことが分かりました。最後にお目にかかったのが閉店となった銀座和光の「アルペジオ」の支配人でいらしたときですから随分になります。そこで、静岡への土産を高島屋の「エクレール・ドゥ・ジェニ」で買うことにし、出かけたところ、いらっしゃいました。日曜日の昼前でしたので、デパ地下は結構な人盛りでこれも驚き。デパートのワイン売り場などにソムリエを派遣する会社を経営なさっているそうです。リーファ―ワイン協会のこともご存じで、下野会長、西尾専務理事の名前も坂井氏の方から出てきました。これを機に、リーファーワイン協会の講習などでご一緒させていただくことが出来ればと思っております。
 
 三種三様の状況に戸惑いを覚えつつも、これを一つの区切りとして新たな「美食批評」のステージに進めるよう精進する所存です。どうか、ご支援のほど、よろしくお願いします。
 

第五十八回
ありうべきワインの姿
――リンチ『最高のワインを買い付ける』を読む――

 先月、静岡へ帰省する際、手土産を日本橋高島屋で買いました。その際、ワイン売り場にも立ち寄り、筆者がワインの師匠と勝手に呼ばせていただいている「ル・マエストロ ポール・ボキューズ トキオ」のシェフソムリエだった坂井秀行氏にご挨拶させていただきました。銀座和光のフレンチ「アルペッジオ」(閉店)の支配人でいらしたとき以来ですので、久しくお目にかかっていませんでした。現在、ソムリエを派遣する会社を経営され、ご自身も高島屋でワインを販売されているとのこと。折角ですので、何かお薦めはと伺ったところ、筆者がボルドー一筋時代にお世話になった方なので、躊躇なく、「これはいかがでしょう」、とシャトー・フルカ=デュプレを出してこられました。リストラックを代表するシャトーで、3000円ほど。筆者の懐具合を良くご存じなので、カリテプリなワインをプレゼンされた次第。「実は最近、ブルゴーニュなんです」、と申し上げると大変驚かれたようで、「ブルゴーニュはお高いですよ」と微妙な返答が。そこを何とかみたいな顔をすると、さすが師匠。すかさず、では「これはいかがでしょう」と見たこともないブテイユをさっと選んで持ってこられました。どうみてもなで肩のブルゴーニュタイプのブテイユではなく、しかも大きい。
1000ml入っているんです。今流行りのミクロネゴスで、コート・シャロネーズです」と説明。5000円ほどでプレゼント用ですし、師匠の坂井さんが薦められるのですから、「じゃあ、これいただきます」と購入した次第です。
 
 不勉強で見たことのないワインだったものですから、早速調べました。「サンティニ・コレクティヴ」というシリーズで、クリストファー・サンティニという人物が造っているワイン。ミクロネゴスというのは、ミクロ(マイクロ)・ネゴシアンの略だそうで、農家から少量の葡萄を買い付け、自分でワインを造る人物のことらしい。ネゴシアンと言えば、通常出来上がったワインを買い付け、樽買いの場合、瓶詰めして販売、あるいはブレンドして、ジェネリックものとしてネゴシアン名ワインとして売ったりする酒商のこと。それに対し、ミクロネゴスは契約農家で一緒に葡萄の栽培・収穫し、自ら選りすぐった葡萄を用いて、自分自身で醸造するとのこと。その代表格は、1998年設立の「ルシアン・ル・モワンヌ」、2007年設立の「オリヴィエ・バーンスタイン」など。
 
 サンティニ・コレクティヴは2013年設立。初ヴィンテージは2014年。2014年は友人のクリストフ・パカレの醸造所を間借りして200本生産。あのパカレですからビオワインだとわかります。次の年は栗山朋子さんがご主人ギヨーム氏と営むミクロネゴス「シャントレーヴ」(サヴィニ=レ=ボーヌ)で醸造。2016年、ようやくオークセイ=デュレスに自身の醸造所を作り、そこで年間約12000本のワインを造っているとのこと。ただし、バーンスタインら新進気鋭のミクロネゴスと異なるのは、彼らがグランクリュ、プルミエクリュなどでさらに希少性のある高価なワイン造りを手掛けているのに対し、サンティニが造るのは、先の手頃な1000ml入りのコート・シャロネーズのように、料理を囲んで気の置けない友人たちとワイワイガヤガヤ楽しめる「ヴァン・ド・ソワフ」=「渇きを癒すワイン」、即ち、「ガブ飲みワイン」。ただし、ガブ飲みだからこそ、シンプルで自然な「美味しい」ワインでなくてはならず、なかなかそうしたワインが見つからないので自分で造ってしまえ、という訳です。筆者もこうした考えには共感するところがありますので、早速何か購入してみることにしました。シャロネーズはプレゼントしてしまいましたので、普通サイズ(750ml)のブルゴーニュ赤2018年があることを知り、そちらを購入しました。これはACオート=コート=ド=ボーヌに該当するパリ=ロピタル村(ACマランジュに隣接)の葡萄を用い、2200本ほどの生産だったようです。値段は4000円ほどで通常のACブルゴーニュと変わらない価格でした。
 
 しかし、こうした「ヴァン・ド・ソワフ」の必要性を説いたのはサンティニというより、彼のボス、伝説のワイン商「カーミット・リンチ」だったのです。カーミット・リンチには『最高のワインを買い付ける』(1988年)という名著があり、立花峰夫・洋太ご兄弟による邦訳も白水社から出ています(2013年)。サンティニはリンチの会社のブルゴーニュ地区マネージャーであり、現在もその職とワイン造りを兼務しています。リンチの邦訳は買ってあったのですが、読むことなく過ごしておりました。そこで、早速読んでみますとこれが実に素晴らしい。筆者の考えるワインの「ありうべき姿」とまったくではないものの、共通する部分が多々あり、以下にその要点を論じてみたいと思います。
 
 リンチのワインに対する考え方を理解する際、もう一人のアメリカ人、リンチと共にワイン業界に多大な影響を与えているロバート・パーカーのワイン観と比べると良いでしょう。というのも、二人ともワインに対してきわめて真摯な点では共通するものの、その理想とするワインは対照的だからです。リンチが1941年生まれのヒッピー出身のミュージシャンであるのに対し、パーカーは1947年生まれで弁護士。両者共にワイン愛好家から出発するも、パーカーはリンチの書いた販売用パンフレットを「壮大なるヨタ話」と酷評。リンチも負けじと、そのパンフレットをまとめた著書『インスパイアリング・サースト』の裏表紙の推薦文に、ミック・ジャガー、ボブ・ディランと並んで、パーカーの「壮大なるヨタ話」という一文を掲載したいとパーカーに電話する始末。パーカーが「冗談だろ」と尋ねると、「本気だよ。アンタが『壮大なる』って呼んだら、どんなものでも飛ぶように売れるんだから」と応えたらしい。
 
 パーカーはワインを100点で評価するパーカースコアを始めたことで有名です。彼が高得点を与えるワインは新樽率が高く、エキス分が濃く、アルコール度数も高いといったコテコテの濃厚ワイン。また、「ル・パン」や「ヴァランドロー」など希少価値のある高価なガレージワインがお好き。パーカーのお墨付きをもらったヴァランドローの造り手、ジャン=リュック・テュヌヴァンはワインコンサルタントとして八面六臂の活躍ぶり。
 
 リンチはこうしたワインのあり方とはことごとく反対の方向を向いていると考えればよいのです。樽がけは最小限にし、果実味を生かさなければならない。補糖(シャプタリザシオン)によってアルコール度数を人為的に上げることなどもってのほか。コンサルタントに任せて画一的な味になり、代々伝わるワイン造りをおろそかにすることなどあってはならない。そして、ワインの原点はあくまで「ヴァン・ド・ソワフ」=渇きを癒すワイン、即ち、料理と共にガブガブ飲めるようなものであることを決して忘れてはならない、というものです。ここから、リンチは自然に任せて、出来るだけ人為的な操作を加えないワイン造りを推奨することになります。つまり、現在の自然派、ビオブームのパイオニアはリンチといって過言ではありません。
 
 ただし、リンチはあくまで「美味しい」ワインを追求しているので、昨今のビオブームには批判的です。「目下、自然派ワイン運動はどこか自滅的な方向へと進んでいるように思われる。憑かれたような狂信者どもが、美味しいかどうかをないがしろにしているせいで、ある種の宗教と化している」(邦訳、341頁)。
そんなリンチが理想とする自然なワインの作り手として、ジュール・ショーヴェ(190789)の名が挙げられ、ボジョレの項に詳しい記載があります(邦訳、259267頁)。原本が1988年刊ですので、リンチがショーヴェにあったのはその晩年だったことがわかります。実際、ショーヴェが「自分は癌なので、来年お目にかかれるかはわからない」といった発言をしているくだりがあります。ショーヴェは野生酵母による発酵、補糖を一切せず、亜硫酸塩(酸化防止剤)無添加のボジョレ・ヴィラージュを造り、また長期保存用のワインに限って、最小限の酸化防止剤の使用を認めるという現在、「自然派ワインの父」と呼ばれる存在。しかし、晩年のショーヴェには誰も彼のやり方を継承せず、このまますたれてしまうのだろうか、とリンチも心配になったほどでした。しかし、のちに、マルセル・ラピエールがショーヴェを手本とした自然派ワインを造り出し、その後、フォワイヤール、ギ・ブルトン、テヴネといった賛同者が自然派ワインを広めていくことになります。
 
 リンチはラピエールらの擁護者となるのですが、ショーヴェの域には達していないとそこは手厳しい。その理由はショーヴェが生物学者だったこと。徹底した科学的管理のもと、汚染されないワイン造りで酸化防止剤無添加のワインを可能にしているからだと考えられます。
 
 筆者もまた、ワインは出来るだけシンプルにあるべきだと考えます。リンチが著書の中で嘆いていたように、昔のブルゴーニュのワイン農家は自ら瓶詰めすることはなく、その時期にやってくる移動の瓶詰め業者に任せてしまうので、がんがんフィルターをかけられ、樽の状態では見事だったワインが無残な姿になっていたらしいのです。筆者が一番気にしているのはアルコール度数です。パーカーが登場して以来、ボルドーワインのアルコール度数がどんどん上がっていくのは不自然だと思っていました。1980年代までは、メドックなら12.5%、リブールヌで13%くらいが当たり前で、昨今のことごとく13%超え、14%などざらというのはやり過ぎです。ブルゴーニュも同様。サトクリフは『ブルゴーニュワイン』でヴォルネのユベール・ド・モンティーユが12.1%のワイン造りを推奨していること、ムルソーのコシュ=デュリが13%以上のワインを造らないことなどを記していますが、筆者もこの考えに賛成です。件の「ヴァン・ド・ソワフ」もまた、ガブ飲みワインですからアルコール度数があまり高いものではあり得ません。
 
 筆者はショーヴェが目指したのは自然派ではなく、「自然な」ワイン、伝統的な手法でニュートラル、「ありのまま」にワインが出来上がって行くのを、科学を最大限に活用して、汚染などから守ることではなかったかと考えます。
はたして、「ヴァン・ド・ソワフ」がありうべきワインの姿かは筆者と意見を異にするところではありますが、実際、サンティニのブルゴーニュをテイスティングしましたので、会員用では具体的にテイスティングの結果などを含め、「ヴァン・ド・ソワフ」に関して考察してみたいと思います。
 

第五十九回
1990年代のボルドーワイン
――「エチケットは語る」を参考に――

 昨年末から、筆者は遅ればせながらFacebookをはじめ、その中で「エチケットは語る」という記事を書いていることはすでに書かせていただきました。それは筆者がエチケット剥がしのコレクターであり、写メが普及した現在でもエチケットを剥がし続けているからであります。すでに友人の同人誌で、自身のコレクションからのエチケットとそれにまつわるエッセーを同名の「エチケットは語る」として二回ほど書いたのですが、その同人誌が休刊になり出鼻をくじかれることになりました。Facebookですとコンスタントに書くことが出来ますし、その分量も短めのエッセーで済ませることが出来ます。ブログですとついつい長く書きがちで持続しませんし、その枚数が膨大ですので回数を多く書きたかったので、Facebookはちょうどよい感じに思われます。実際、Facebookを始めて、毎日何かアップしていますし、「エチケットは語る」はその核となる記事と言えましょう。この七月十一日にまん延防止等重点措置が解除されると思いきや、逆に感染状況が悪化し、東京は再び緊急事態宣言下となり、八月二十二日まで酒類の提供が禁止となってしまいました。そこで、ともかくも八月二十二日までは「エチケットは語る」を原則として毎日アップすることにしました。筆者なりのある種のプロテストです。自宅でワインを飲むのをやめてしまった筆者にとって、いにしえの毎日ワインを飲んでいた時の記憶を呼び起こすことで、多くの方々とワインを共にすることがいかに生活を豊かなものにしていたかを明らかにしたかったのです。
 
 前回、「エチケットは語る」について書かせていただいた際は、1995年、パリで飲んだワインを逐一紹介していたかと思います。それが一段落し、続いて翌1996年、パリでのワインを紹介しようと思いましたが、当時どのように自分がワインを飲んでいたかの「日常」を書き記しておきたいと思い、1997年に飲んだワインを紹介することにしました。その理由は、おそらく生涯で一番たくさんワインを飲んでいた時期であること。実際、確認しましたところ、この年は休肝日がゼロ、つまりワインを飲まなかった日は皆無でした。自分がワイン指南した若い友人のW君にそれを伝えると、「具合の悪くなった日がなかったのですか?」と極めて真っ当な質問が。実は、体調不良と手帳に記され、自宅にいた日も何故か自宅でワインを一本空けていたのです。ですので、少なくとも一年で500本以上は飲んでいたかと思われます。というのも、外で飲んで帰っても、家でボトル半分をまた飲んでいたからですが。もちろん、そのほとんどは自腹です。
 
 そして、この当時はまだボルドーワインを極めようと遮二無二ワインを飲んでいましたので、飲んだワインはほぼすべてエチケットを剥がし、裏にコメントをきちんと書いていました。外で飲んだ場合、いくらであったかも記されています。今思えば、インポーターなど裏に貼られていた部分も剥がしておけばよかったと反省しております。さらに望むらくは個人で購入した値段を書いておけばよかったと後悔しています。というのも、昨今のワインの値段の高騰は目に余るものがあり、とりわけボルドー、ブルゴーニュはグランヴァンになかなか手を出すことが出来なくなってしまいました。この当時は、五大シャトーでもヴィンテージが悪ければ、デパートのバーゲンで正規輸入のインポーターものを5000円で買えた時代でした。ですので、レストランでも、例えば、ポムロールのヴュー・シャトー・セルタンの1983年が10000円ぽっきりで飲むことが出来ました。今はネットで若いヴィンテージのもので、25000円から50000円で売られています。このようなワインをレストランで飲むとしたらいくらかかるでしょう。当時はここまでワインの価格が変動するとは思っていなかったと思います。だいたいの価格は覚えているのですが、ヴィンテージ物のグランヴァンなどいくらくらいしたのか、書き記しておくべきでした。
 
 そして、大変重要な出来事として、この年の九月三十日にアークヒルズにあった「ル・マエストロ ポール・ボキューズ トキオ」が閉店したのです。95年にはポール・ボキューズ氏が来日され、本店三つ星三十周年の記念ディナーが開催され、筆者もボキューズ氏とツーショットで写真を撮っていただき、家宝とさせていただいております。しかも、翌96年もたまたま来店した際、別件で来日されていたボキューズ氏が店に寄られ、お目にかかる機会を得たのです。それから一年で閉店とは何ということか。十一年とグランメゾンとしては比較的短かい期間であり、筆者が顧客の末席に加えていただいたのは最後の数年だったのですが、ボルドーワインを極めようと決心したのも、ル・マエストロにて9000円で飲んだムートン・ロートシルト1984年であったことは事ある毎に書かせていただいております。そして、シェフソムリエの坂井秀行氏のご厚意でボルドーのグランヴァンのヴィンテージ物を筆者でも手の届く価格で飲ませていただくことでその知見を深めることが出来たのでした。
 
 また、ル・マエストロは筆者の説く「レストランの正三角形」のモデルとも言える真のレストランの在り方を実践していました。シェフソムリエの坂井氏とスーソムリエの村中克徳氏がそれぞれ個性豊かなワイン選びをされ、サーヴィスは支配人の秋葉康雄氏、坂井浩氏と一流のサーヴィスを提供くださいました。専従のレセプションに始まり、併設のウエイティングバーを兼ねたバー・マエストロ。また、サーヴィスにはメートルの他にコミ(助手)がきちんとつき、筆者が最上のサーヴィスと感じたパリのオテル・クリヨンの「レ・ザンバサドゥール」に引けをとらない素晴らしいものでした。そして、料理が当初、やや優等生的なグランメゾンにありがちな保守的なものだったのが、フランス帰りの市川知志氏をシェフに迎えることで当時最新の斬新な料理をいただけるようになったことはレストランの格を上げる大きな要因であったと思われます。「トロワグロの三羽烏」と呼ばれた若き才能あふれる料理人の一人である市川氏(後の二名はクレッセントの磯貝シェフ、当時オー=バカナルにおられた三谷シェフ)の料理は、初めて口にしたとき、すぐにシェフが代わったことがわかり、これはすごいぞと確信したのを鮮明に覚えております。
 
 こうした意味では、ワイン、サーヴィスが三つ星クラスで、料理がその域まで達していなかったので見田盛夫氏(19332010)が最初の『エピキュリアン』(講談社 1995年)で二つ星を付けられたことも納得行きました。この時の調査は19943月~10月とちょうどシェフが代わる直前に行なわれたものだったからです。これは現在のグランメゾンが料理中心で、ワインやとりわけサーヴィスが惨憺たるものであることとは逆の現象です。いくら優秀なメートルであっても、20席を一人でサーヴィスすることなど不可能なのに、何故か一人でてんてこ舞いになってこなそうとしていた星付き店には驚きました。ソムリエはワイン以外仕事しない契約なのか、有料の水がグラスに空になっていてもついでもくれない。ご婦人たちはトイレの前に列をなし、トイレのペーパータオルは空。そんな店が2021年の現在、ミシュランで星を取っているのですから、見田盛夫氏がご存命なら、卒倒されることでしょう。料理は立派かもしれませんが、レストランとしては話になりません。つまり、筆者にとって、「ル・マエストロ」の閉店は当時から、日本におけるグランメゾンの終焉と感じられたのですが、どうもそれは間違っていなかったように思われるのです。
 
 このように、1997年のエチケットを振り返ることは、グランヴァンから日常使いのものまでボルドーワインを語るのに最良の資料ではないかと思われるのです。現在、これだけワインの値段が高騰しますと、レストランで頼むことの出来るワインは97年当時のようなグランヴァンという訳にもいかないでしょう。また、レストラン側もよほどのグランメゾンでもない限り、ヴィンテージ物のグランヴァンを揃えることはあり得ないと思われます。料理とワインの値段のバランスがあまりにもアンバランスになってしまいますので。これは日本でのことではないのですが、数年前、台北にヤニック・アレノの「STAY」というレストランが台北101の中にあって(現在は閉店)、アレノ自身が来る特別のディナーがありました。日本からわざわざそのためにやって来たのは筆者だけだったらしいのですが、二人で十二万ほどかかったのです。料理が三万円×2名でまあ、これは致し方ないとしてもワインに六万円とは自分でも高すぎるなあとガッカリしたことを覚えています。いや、97年当時でさえ、ル・マエストロの坂井ソムリエから、「今更ボルドーをおやりになられるのは時代錯誤的で、ソムリエの資格を持たれる某有名野球解説者の方など、お店ではワインをもはや飲まれませんよ」と釘を刺されたことがあります。つまり、店でワインを飲む場合、通常小売価格の2~3倍の値段でリストに載せられますので、某氏のようなグランヴァンでも高級なものしか飲まれない方はご自分で確かな所から買われ、ご自宅で飲まれるというのです。
 
 確かに当時のマナー本など読みますと、ワインは二人で料理一人分以内と書かれていました。つまり、一万円のコースを頼んだ場合、二人で一万円以内のボトルを頼むということになります。果たして、そのクラスのレストランのワインリストはおそらく一番安いワインが一万円ではないかと思われます。ペアリングが主流の現在では、おそらく料理と同じ値段か若干安いペアリングが推奨されているかと思われます。即ち、一人8000円~10000円か、と。これは、ペアリングを選ばなかった場合、グラスのシャンパーニュと白のグラス、そして一番安い赤ワインのボトルとほぼ同じ値段となるでしょう。つまり、以前はワインの値段は一人換算で料理の半額だったのが、現在は料理と同額、あるいはちょっと奮発すれば、すぐワインの方が高くなってしまう。ですので、ペアリングなら固定価格で何も考えずに済む。料理もお任せコースですので、席に座った瞬間に(いや、下調べすれば座る前から)、いくら支払えばよいか、わかります。それでも一万円のコースを食べてペアリングワインを飲み、税・サーヴィス料を加えれば、二人で五万円ほどになるでしょう。これはなかなかの大出費です。しかも、申し訳ありませんがペアリングで出てくるワインにグランヴァンはほぼあり得ず、ヴィンテージ物も通常は出てこないでしょう。つまり、一万円でヴュー・シャトー・セルタンの83年とか、いくらオフヴィンテージとはいえ、五大シャトーの一つ、ムートンの84年が9000円とかいうリストは当時でも稀でしたが、現在では「不可能」としか言えません。
 
 では、何故そのようなことになったのか、「エチケット」から知り得たことを会員用で考察してみたいと思います。
 

第六十回
「食べる」ということ
――頭木弘樹『食べることと出すこと』を手掛かりに――

 「人間は食べて出すだけの一本の管。(だが、悩める管だ……。)」。このような刺激的な一文を帯に掲げた本を見つけて、読まないでいられましょうか。筆者には大学でフランス語を学び始めた時のことがすぐに思い出されました。フランス料理に関して美食を極めたく、大学入学と同時にフランス料理を食べ歩き始めた筆者は、当然メニュを読解するのに必要なフランス語を第一外国語にしました。そして、フランスの文化に関する授業も受講することに。筆者の通った千葉大学は日本で初めて「総合科目」と呼ばれる一つの授業を複数の教員が担当するいわゆるオムニバス講義を始めた大学で、当時はまだ開始して間もない頃でした。その代表格で後に単行本化された『ルネサンスの人間像』を筆者も受講しましたが毎回、他大学からも有名な先生方がいらして、それは壮観でした。音楽は当時NHKでバロック音楽の番組を持たれていた立教大学の皆川達夫先生、シェークスピアは成城大学の毛利三彌先生などなど。そのような科目の中に「フランス研究」もありました。単位が楽なので、大人気で毎回抽選。筆者は二年次に受講したのと、当時すでに教養のフランス語研究室に出入りさせていただいていたのですんなり取れました。
 
 その最初の講義でした。すでに名誉教授になられていた重信常喜先生がイントロダクション的なお話をされたのですが、その話しぶりの見事さとフランス喜劇の代表モリエール(162273)の研究者らしい洒脱さが今でも印象に残っています、その内容はモリエールと同時代の哲学者パスカル(16231662)の『パンセ』に出てくる「人間は考える葦である」という一節に関するものでした。パスカルは真空の法則、気圧の「ヘクトパスカル」に名前の残るルネサンス以来の「万能人」の系譜に属する人物。問いは何故、人間を「考える葦」と言い換えたのか。「葦」は風に吹かれて右に左に揺れ動くものの、決して折れることなく柔軟に風に対応している。人間もあれこれ迷いはするものの、柔軟な考えをもって臨めばどのような強風=難事にも対応することが出来る、と。老獪な教授はこう定説を説明された後、でも、他にも解釈可能なことがありまして、と話を続けられたのです。
 
 それが「実は、葦は真ん中が空洞でして、つまり、ストローみたいなもので、人間が葦であるというのは口からお尻まで人間の身体は管状になっていることを表しているとも考えられるのです」、とおっしゃったのでした。それを聞いたとき、筆者は感動しました。それまでの勉強のほとんどは正解が一つしかありませんでした。とりわけ、受験勉強は。しかし、学問というのは正解が一つとは限らない。このパスカルの名言のように建前の解説の他にいくらでも解釈の可能性がある。実はこの後も話は続くのですがそれはさておき、冒頭の「人間は食べて出すだけの一本の管。(だが、悩める管だ……)。」はまさしく、「人間は考える葦である」のことを示唆しているのではないか、あの時の重信先生と同じことを語っているではないか、と感銘を受けたのです。
 
 さて、その本というのが頭木弘樹『食べることと出すこと』(医学書院、2020年)です。この本が収められている同出版社の「シリーズ ケアをひらく」は毎日出版文化賞を受賞した好著が多く含まれるシリーズで、筆者もはじめ、同業のフランス思想研究者の伊藤亜紗氏の『どもる体』を買おうと思い、シリーズの中に頭木氏の本を見つけ、こちらを購入してしまったという次第。頭木氏は在野のカフカ研究者として多数の著書があるのですが、彼が大学に勤められなかったのは、大学三年生、二十歳の時、難病の潰瘍性大腸炎を発病し、十三年もの闘病生活を送ることになったからです。著者はこの病気の当事者として、健常者には当たり前の食事と排泄がまったく当たり前でなくなり、そこから「食べること」と「出すこと」を熟考することになったのです。本書は病気の性格から「出すこと」の方がメインですが、全十章中、第二章「食べないとどうなるのか?」、第三章「食べることは受け入れること」、第四章「食コミュニケーション――共食圧力」の三章が出すことの困難さから見えてくる「食べること」の様々な本質が垣間見られ、実に興味深いものがあります。ただし、深く考察するではなく、エピソード的に羅列していくので、読者の側で繋げて一連の思考=思想にしていく作業が必要になるかと思います。
 
 例えば、第二章の「食べないとどうなるのか?」は、「空腹は最大のアペリティフ」などとよくグルメ本には出てまいりますが、著者のようにひとたび食べ物を口に入れれば、腸が動き、大腸炎が悪化の一途をたどる場合、「絶食」となる訳です。では、どのように栄養補給、水分補給をするのか、それは「中心静脈栄養」という点滴なのだそうですが、それが一か月以上も続いたそうです。食べることにこだわりのない著者は当初、大腸炎の苦しみが減じてホッとしたそうですが、一週間もするとおかしな感覚に陥ったそうです。つまり、「口から何も入っていないのに、栄養は足りてしまっていることに、身体自体が戸惑ってしまっているような感じ」が生じ、その後、「飢餓感」がやって来たそうです。しかもそれは生きるか死ぬかの飢餓感ではなく、「『飢え』から『栄養不足による飢え』を引いたもの」。それは一つの感覚ではなく、各部位からの「それぞれの訴えかけ」としてとして感じられたそうなのです。「胃」はもちろん何ともありませんので、「食べ物を欲しがった」。それに対し、「小腸」については何も感じなかったそうです。つまり、「胃は感じやすい臓器であるようだ」、と。
 
 次に「喉」には「何かを飲み込みたい」という欲求が起こったそうです。唾では駄目だそうで、飲み物であれ、食べ物であれ、「はっきりした手応え(喉応え?)を欲していた」、と。さらに「顎」。「何かを噛みたかった」。「犬になったような気がした」、と。そして、「なんといっても強烈だったのが、舌」。「何か味がしてほしいのだ」。しかも、舌だけでなく、「口腔内全部が、何か味を求めている」。美味しい必要はない、なんでもいい「味だけの飢え」。
これらが渾然一体になることはなく、順繰りに、時に同時に起こるので混乱をきたしてしまったということです。
 
 つまり、「空腹は最大のアペリティフ」という時の「空腹」は単にお腹即ち「胃」が何かを求めていることではなく、「絶食」に比べ程度の差こそあるものの、少なくとも上記の「それぞれの訴え」の全てが関係している。それも一体ではなく、そのどれかが優先されることもあるのです。著者はその例として、「コンニャクのおじいさん」の話を挙げています。著者が入院中、同じ病室に入院されていた老人が事ある毎に「コンニャクが食べたいねえ」と話しかけてきたそうです。その老人も著者のようにげっそり痩せていて、相当な食事制限をされている方らしい。著者は「もっと栄養のあるものをお食べになった方がよろしいのでは」と答えていたところ、ある時、「おまえにわかるものか!わしはコンニャクが食べたいんだ!」と激高されたそうです。いつもは温厚でニコニコされている老人が。おじいさんは我に返って、著者に謝り、二度とコンニャクの話はしなくなったという。著者は「そのことに私は胸を打たれた。『ああ、そんなにも食べたかったのか!』と思った」と。そして、噛みたい欲求が自分にも起こるに際して、おじいさんの気持ちがわかるようになったというのです。このケースの場合、「空腹」はコンニャクの独特の「食感」にあるのであり、味でも量的なものでもないのです。
 
 さて、著者は長期の絶食を経て、徐々に食事を再開するようになるのですが、その一口目はご両親が探してきて下さったヨーグルトだったそうです。筆者は家では三食ヨーグルトを食べる乳酸菌信仰者なのでこのエピソードは嬉しい限りなのですが、「口の中で爆発が起きた」と著者は書かれています。「味の爆発だ。おいしいとか、そういうなまやさしいものではなく、とんでもなく強烈に味がした」、と。ところが何でも美味しく感じるのかとおもいきや、その反対で「舌がとても敏感になっていた」のでおかゆ一つでも、米と水がちょっとでもまずいと食べられなくなってしまった。野菜もドレッシングをかけて食べることが出来ず、野菜のそのままの味で食べられたり、食べられなかったり。結果、著者は「素材の良さにこだわり、それをなるべく薄味で食べたいという、過敏舌の美食家」になってしまったといいます。
 
 ただし、著者の密かな願望は「暴飲暴食へのあこがれ」であるといいます。この点で、著者はカフカと同様の感性の持ち主であることがわかります。カフカも「健康のために食事にとても気をつけていて、自主的に極端な摂生をしていた」にもかかわらず、「胃が丈夫だと感じさえすればいつでも、ムチャな食べ方をする自分を想像したくなる」と書いているからです。筆者もテレビで大食い選手権など観るとすごいなあ、と感心するのですが、その後のことを考えるとゾッとします。これは私見ですが、胃は鍛えていくら膨れさせることができても、消化はどうなのだろうか、と。まさに著者のいう「出すこと」の方が気になるのです。古代ローマの貴族たちのように、食事する場所の片隅に吐いて再び食べるためのスペースをこしらえていたようなことはしないでしょうから、下から出すしかないわけで。腸内細菌が一般人と違うなどと聞いたりするのですが、いずれにせよ出すものは出すでしょうし。激辛自慢なども胃はまだしも、食道がただれないか、腸にはやはりダメージがあるのではないかと心配になってしまいます。
 
 著者は「美食家」を著者自身のような「過敏舌の美食家」と「究極の味を求めて探求するとか、普通の味ではものたりなくてゲテモノにまで手を伸ばすとか、そういう美食家」の二つに分けています。ただし、例えば、敏感舌の求める「素材の良さ」とはどのようなものでしょうか。野菜や果物の場合、間引きに間引いて糖度を上げたり、美味しさを凝縮したりしたものが「素材の良さ」だとしたら、それは結局、「究極の味を求めて」いるのと一緒ではありませんか。何も手を加えず、実がなるがままにしておくことが「素材の良さ」でしょうか。これは筆者がよく言う、「ビオワインほど不自然なワインはない」という逆説とも通じるところがあります。
 
 「素材の良さ」と言ってもそれは「人の手が加わって」はじめて、その素材の良さは可能になったり維持出来たりするものではないでしょうか。それは「人為」(art=技、術)なしにはありえません。そして、その人為は芸術的(artistic)でもあれば、人工的な=わざとらしい(artificial)ものにもなるのです。筆者はこの見極めを行なうことこそ、美食(学)における「批評=批判(critique)」の役目であると考える次第です。
 
 さて、著者は自身のような病気の者には「食べられない食べ物が増えてしまう」。それはまた、「外界に対して拒絶的」であり、「現実を受け入れられない」ということに繋がっていくと説きます。それが続く第三章、第四章のテーマとなるのですが、そちらについては会員用で考察してみたいと思います。
 

目次

著者Profile

関 修(せき おさむ)

フランス現代思想
文化論
(主にセクシュアリティ精神分析理論/ポピュラーカルチャースタディ)
現在、明治大学法学部非常勤講師。
2014年、明治大学で行われた「嵐のPVを見るだけの授業」が話題となった。
 

経歴

1980年:千葉県立船橋高等学校卒業
1984年:千葉大学教育学部卒業 
1990年:東洋大学大学院文学研究科哲学専攻博士後期課程単位取得満期退学、東洋大学文学部非常勤講師 
1992年:東洋大学文学部哲学科助手
1994年:明治大学法学部非常勤講師  、他に、岩手大学、専修大学、日本工業大学などで非常勤講師を務める 
 

著書

『挑発するセクシュアリティ』(編著、新泉社)
『知った気でいるあなたのためのセクシュアリティ入門』(編著、夏目書房)
『美男論序説』(夏目書房)
『隣の嵐くん~カリスマなき時代の偶像』(サイゾー)
『「嵐」的、あまりに「嵐」的な』(サイゾー)
 

翻訳[編集]

G・オッカンガム『ホモセクシュアルな欲望』(学陽書房,1993年)
R・サミュエルズ『哲学による精神分析入門』(夏目書房,2005年)
M・フェルステル『欲望の思考』(富士書店,2009年)
 

関修公式WEBSITEへ ▶︎

 

Series