美食批評への誘い  Vol.31~35

クリティーク・ガストロノミック

 
フランス現代思想家

関  修(せき おさむ)

第三十一回
翻訳こぼれ話
――固有名詞の訳の難しさ――

 おかげさまで、『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つのですか?』の翻訳も、この原稿が掲載されたときにはすでに世に出ていることでしょう。手直しも最後段階を迎えた際、意外な注文が著作権事務所から。それは著者の読み名を「ピュドロフスキ」にせよというのです。日本ではこれまでこの著者のことを「ピュドロウスキ」と呼んでいました。例えば、ロビュションの死を伝えるAFP通信の記事は、そのスポークスマンをジル・ピュドロウスキと明記しています。では、何故「ウ」ではなく、「フ」なのでしょうか。
 
 ジル・ピュドロフスキはGilles Pudlowskiと書きます。名前のジルはフランス人にはよく見かける名前で、『アンチオイディプス』などで有名な哲学者にジル・ドゥルーズ(Gilles Deleuze 19251995)がいます。問題はピュドロフスキという苗字です。スキという苗字からすぐ思い浮かぶ美食家に、「食通のプリンス」ことキュルノンスキ(18721956)がいます。今回の翻訳でもこのキュルノンスキに関してピュドロフスキは多くの頁を割いているように、二十世紀前半を代表する美食家として、その名が燦然と輝く人物です。このキュルノンスキはCurnonskyと書きます。実のところ、キュルノンスキはペンネームで本名はエドモン・サイヤン。しかも、キュルノンスキはキュルがラテン語で「何故」という意味で、「ノン」は「否」。つまり、「何故、skiでなくて、skyなの」というのがその名の由来であると、ピュドロフスキも繰り返し拙訳で触れています。
 
 ~スキ(ー)と聞くとすぐに頭に浮かぶのはチャイコフスキー、ムソルグスキーといったロシアの作曲家の名前ではないでしょうか。かれらのスキーはskyと書きます。つまり、skyはロシア系の人物の名前なのです。キュルノンスキは二十世紀初め、ロシア革命があり、フランスに多くのロシア人が亡命し、パリにロシアブームが起こったことに乗じて、このペンネームを思いついたのでした。画家のカンディンスキー、作曲家のストラビンスキー、ディアギレフバレー団のニジンスキーといった人物がその当事者と言えましょう。
 
 それに対して、ピュドロフスキのスキはskiです。そして、キュルノンスキのいわれは「何故、skiでなくて、skyなの」でした。つまり、フランスでスキはskiと書くのが通例ということです。フランス語でyは「イグレック」と言います。iは「イ」と発音します。グレックは「ギリシアの」という意味で、つまり、yは「ギリシア語のi」という意味なのです。そこで、語尾にyがつくのはフランス語的ではなく、明らかに外来語を意味します。生粋のフランス人であるエドモン・サイヤンがキュルノンスキ、しかもあえてskyとロシア人の綴りを用いたことをそのままペンネームにするという、実は凝った名前なのです。
 
 では、ピュドロフスキのskiはフランス的であるとして、問題はwを「ウ」ではなく、「フ」と発音せよというその著者の真意は如何にということになります。一般にフランス語でwは「ウ」ないし「ヴ」と発音します。先日、長年のパリ留学の成果としてパリナンテール大学で博士号を取られて帰国されたフランス演劇の研究家、田ノ口誠悟氏に伺ったところ、ピュロドヴスキとパリの人なら発音するだろうとご教示いただきました。また、ピュロドフスキはドイツとの国境、アルザス=ロレーヌ地方のメスの出身です。ご存知のように、アルザス=ロレーヌはドイツとの戦争の度に、戦勝国に属することになるという地方で、人種的にはドイツ人が多数を占めます。例えば、シュヴァイツアー博士(18751965)はドイツ帝国領時代に生まれたのでドイツ人ですが、現在はその生地、ケゼルスベールはアルザスのオー=ラン県にあります。日本でもおなじみのサッカー監督アーセン・ベンゲル氏もストラスブールの出身。彼を誰もがフランス人監督と認識していますが、ベンゲルというのはゲルマン民族の名前でフランス(ゴール)人の名前ではありません。そして、ドイツ語でwは「ヴ」というのが通例で「ウ」と発音するとも言われています。
 
 では、「ヴ」と「ウ」の違いは何処で生じるのでしょう。そのヒントはWienにあります。日本人は「ウィーン」と書きませんか。そう、「ヴ」と発音するのはドイツで、「ウ」と発音するのはオーストリア、これをオーストリア・ドイツ語と言うそうです。確かに、マーラーの弟子でウィーン宮廷歌劇場(フィルハーモニー)の楽長も務めた有名な指揮者、Bruno Walterはブルーノ・ワルターと書きます。が、ウィーンの鉄鋼王の息子で哲学者のLutwig
Wittgensteinはルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインと普通書きます。結局のところ、オーストリアでは明確にwを「ウ」と意識的に発音するというより、北部ドイツ語の方がwを「ヴ」と明確に発音するのに対し、南下するほど、「ヴ」の発音が柔らかく「ウ」とも聞こえるような感じになるというのが正解のようです。ということは、ドイツとフランスの国境地方の生まれであるPudlowskiwは「ウ」が妥当でピュロドウスキではないか、というのが、これまでそう表記されて来た理由ではないかと考えられます。
 
 では、何故著者はwを「フ(発音記号のf)」と発音せよと要求してきたのでしょう。そのヒントは再びskiにあります。~スキという名はロシア人だけではなく、実はポーランド人にもよくみられる名前で、その場合の綴りはskiなのです。ポーランドの偉人と言っても普通思い浮かぶのは、コペルニクスさらにはショパンくらいですから、そう簡単ではありません。ただ、クラシック音楽ファンなら、ポーランドの初代首相にもなった世界的ピアニストで作曲家のヤン・パデレフスキ(18601941)に思い至るのではないでしょうか。その綴りはまさにJan Paderewskiです。日本でもwを「フ」と訳しています。つまり、ピュドロフスキは自分がポーランド系であることを明示したいのです。
 
 このこだわりは少々複雑です。というのも、ピュドロフスキにはアルザス=ロレーヌに対する愛着があり、『ピュドロ』のアルザス版なども出していますし、地方紙への寄稿も熱心に行っています。しかし、一方でwを「フ」と発音せよというのは、自分はドイツ人ではないと言っているのです。これはアルザス=ロレーヌ出身ながら「ドイツ人」でなく、ポーランド系「フランス人」であることを強調したいのか、それともあくまで「ポーランド系」であることに誇りを持っているからか。いつか、ピュドロフスキ自身に会う機会があったらぜひ聞きたいと思う次第です。
 
 こうした固有名詞の発音の問題は、他にベルギー系の人名で多く見受けられます。筆者がパリに海外研究に赴いていた一九九〇年代半ば、パリで話題になったフランス料理界の出来事として、パリで初めて女性が二つ星を取ったということがありました。そのレストランは八区の名店ルドワイヤン(現在はあのヤニック・アレノが率いて三つ星です)。シェフの名はGhislaine Arabian。一九九五年に公刊されたこぐれひでこ氏の『パリを食べよう』(東京書籍)でもそのことが取り上げられており、その女シェフは「ジスレーヌ・アラビアン」と書かれています。筆者は翌一九九六年にルドワイヤンを訪れました。現地で彼女の評判を聞くにつけ、皆が「ジスレーヌ」は素晴らしいと絶賛。筆者はアラカルトの選択を間違えてしまったのでちょっと損した気分でしたが、デセールのアボカドのグラスはパリのグランメゾンで食べたデセールの中でも出色の出来でした。
 
 そのアラビアンはその後、一時その姿が表舞台から消えたのですが、その後復帰し、十四区で「プティト・ソルシエール(可愛い魔法使いたち)」というビストロノミの店を営んでいます。しかし、厨房に立つのではなく、フロアでサーヴィスを行なっているのです。先日、教え子が卒業旅行にパリに出かけ、何処か財布に優しくて美味しい店を教えて欲しいというので、「プティト・ソルシエール」を推薦すると律義に出かけてくれ、アラビアンらしき女性のサーヴィスを受けたとのこと。片言の英語にも親切に対応してくれたようで、筆者は二十数年前、彼女の料理を食べにわざわざ大枚はたいて出かけ、感激したことを話すと学生は驚いていました。
 
 さて、問題は彼女の名前の「ジスレーヌ」という発音です。自分も当時、パリで話に出る彼女の名は「ジスレーヌ」と聞こえました。しかし、彼女はベルギー系なので、正確には「ギレーヌ」と発音するのが正しいという記事を読んだのです。確かに、ベルギー系の人名の発音は難しい。筆者が若き日に翻訳した『ホモセクシュアルな欲望』(学陽書房、1993年)の著者、Guy Hocquenghemもギー・オッカンガムと訳しましたが、ベルギー系なのでオッカンゲムと訳す方もいらっしゃいます。ただし、オッカンガムのパートナーで筆者のパリ時代の恩師ルネ・シェレール教授も「ゲム」と発音されたことはなく、シェレール教授の思想の入門書で筆者が翻訳を出した『欲望の思考』(富士書店、2009年)の著者、マキシム・フェルステル氏(彼はトゥールーズ出身)にも会って確かめたところ、「ゲム」ではなく「ガム」で良いとのことでした。
 
 おそらく今でもフランス人は作曲家のBachのことを「バッハ」ではなく「バック」、Mozartのことを「モーツァルト」ではなく、「モザール」と発音していると思います。しかし、彼らはフランス人ではありません。ですから、フランス人がMozartと書いたとしても邦訳者は基本的に「モーツァルト」と訳せば良いでしょう。しかし、アラビアンの場合、彼女はベルギーとの国境ながらノール県はクロワの生まれのフランス人です。ピュドロフスキのように自身から「ジスレーヌ」ではなく、「ギレーヌ」と呼んで欲しいと明言している風でもありません。前述のこぐれひでこ子氏は執筆時、パリにも家をお持ちで一年の三分の一はフランス住まいであると書かれています。ということは、パリで彼女が二つ星を取ったことが話題になっていることに遭遇されていたはずです。その時、パリっ子たちは彼女を「ジスレーヌ」と呼んでいたからこそ、こぐれ氏は「ジスレーヌ」と書かれたのではないでしょうか。筆者もパリで「ジスレーヌ」と呼ばれているのを聞いています。この場合、ジスレーヌ・アラビアンでよろしいのではないでしょうか。例えば、彼女の著作か何かが邦訳されることになり、今回のように「ギレーヌにして」と言われたら、ギレーヌにすれば、よいのだろうと思う次第です。
 

第三十二回
「健やかなワインを求めて」
――『新ワイン学』出版記念パーティー雑感―― 

 去る四月十五日午後六時半より、神田錦町にある学士会館にて、当リーファーワイン協会顧問、戸塚昭先生が東條一元先生と編集幹事を務められた『新ワイン学』(ガイアブックス)の出版記念祝賀会が催されました。総勢七十名ほどの方々が一堂に会し、和やかな雰囲気の中、日本におけるワインに関する重要な基本文献の出版を祝った良い会でした。筆者も協会理事として出席させていただき、貴重な体験をさせていただきました。今回はその報告とご著書ならびに会を通して筆者が感じ考えたことを記させていただければと思う次第です。
 
 今回のご著書は総勢十七名のエノログ(ワイン醸造技術管理士)の執筆者からなる、即ち醸造家あるいは醸造学者の視点から捉えた「ワインとは何か?」の集大成、一種のエンチクロペディー(百科全書)であるということが出来るでしょう。すでに記しました通り、この本に加えて、蛯原健介『初めてのワイン法』(虹有社)、佐藤陽一『ワインテイスティング』(ミュゼ)の三冊をもって、現時点でワインを学ぶ際の必読基本文献とすることを筆者は推奨したいと思う次第です。
 
 まず、ワインが「商品」である限り、それは「社会契約」によって売買されているのです。従って、そこには「法」が介在し、その契約の正しい履行を制度化していることになります。その顕著な例が「アペラシオン(原産地呼称)」でしょう。従って、ワインを知るにはワインが社会で流通することを可能にする、つまり、その存在を可能にする法について知る必要があります。蛯原先生のご著書はワイン法の基礎知識を的確にまとめた現在唯一の本です。今回の祝宴の発起人に蛯原先生が名を連ねられ、ご出席下さったことは重要な意味があると感じた次第です。
 
 また、ワインを実際嗜む際、レストランでそのサーヴィスの役を果たすのが「ソムリエ」であり、購入の際アドヴァイスする必要に迫られるのが酒販の方々、こちらも「アドヴァイザー」から「ソムリエ」に名称が変わったことはご承知のことと思います。これは「日本ソムリエ協会」の認定試験での資格名称の話です。そして、その「日本ソムリエ協会」会長の田崎真也氏も発起人の一人となられ、出席されスピーチされた次第です。同協会で重職に在られる理論派の佐藤氏のテイスティングに関する著書はワインの色に着目し、写真を多用しながら、葡萄品種を系統的かつシステマティックに分類して、構造的にテイスティング技術を磨くことを可能にしました。いわば「テイスティングの文法書」ということができるでしょう。
 
 そして、飲料、しかも「酒類」の一つであるワインの成分分析から製造・品質管理に至るまでを「科学的」な視点から網羅的に解説したのが戸塚先生たちの『ワイン学』であり、二十年の時を経て、最新の知識にアップデイトされたのが今回の『新ワイン学』です。
 ただ残念なことに、基本文献の中に日本人のワイン批評家によるワインに関する著作がないことです。筆者の考えるワイン批評家とは、ヒュー・ジョンソン、ジャンシス・ロビンソン、オズ・クラーク、あるいは偏りがあるもののとりわけ日本では絶大な影響力のあるロバート・パーカーJrといった方たちのことです。彼ら/彼女らはソムリエではなく、オークショナー、ワインジャーナリスト、ワイン愛好家の弁護士など、いわば、消費者=ワインを飲む者の立場からワインについて評価する人々です。まさに、ピュドロフスキの言葉を借りれば、「あなたのためにワインを飲む」ことを生業とする者ということが出来るでしょう。日本でも何名かワインジャーナリストに相当する方がいらっしゃるかと思いますが、必読文献となるような業績はまだ現われていないと思われます。
 
 しかし、ワインの啓蒙に関しては山本博先生が多くの翻訳を手掛けられ、また著作をものされております。筆者はワインを始めるに際して何か読むべき本を尋ねられた場合、山本先生の『わいわいワイン』(柴田書店 1995年)を挙げますが、残念ながら絶版になってしまっています。今回、『新ワイン学』の帯の推薦文は山本先生の手によるものであり、また発起人の一人としてパーティーにも出席され、乾杯の音頭も取られました。ただし、発起人の先生の肩書に「日本輸入ワイン協会会長」とありますように、「批評=批判」という視点よりは「啓蒙=普及」といったお立場からワインに関して多大な尽力されてきたと評価するのが妥当と思われます。
 
 では、ワイン批評家の立場からはどのようなアプローチが可能なのか。例を挙げてみたいと思います。この祝宴に先立ち、六時半から七時まで本の執筆者の一人、村上安生氏による記念講演「EPA施行に伴う醸造法 添加物表示等への影響について」が行われました。この講演の主旨は経済連携協定(EPA)が施行されることによって、添加物の扱い方が日本と外国では異なっているので、日本におけるワイン醸造にどのような影響を及ぼすかということと理解しております。数々の添加物の名前が挙げられ、それが日本と外国ではどのような違いがあるのか(使用の可否、使用上限量の相違など)を説明されました。
 この講演は『新ワイン学』と同じエンチクロペディー方式と言えるものでした。考えられる添加物をすべて挙げ、それぞれについて解説する。『新ワイン学』もまず最初に「ワインの科学」(第一章)として、登場する化学物質、細菌などの名前を出来得る限り網羅・解説し、そののち、ワインの作られる工程に沿って、「原料の栽培」(第二章)、「醸造工程」(第三章)、「貯蔵・熟成・製品化」(第四章)、そして「唎酒」(第五章)と全五章立てされています。つまり、添加物について「添加物の科学」とでもいうべき、『新ワイン学』での第一章に相当する部分のお話をされたと考えられます。
 
 ただし、『新ワイン学』を読まれればわかりますが、その第一章が一番難しいというか、エノログの本領発揮の部分ですので、一般読者には一番てこずりそうな箇所なのです。おそらく、添加物に関して言えば、ワイン批評家なら、「ワインにおける添加物って何?」というところから話を始めることになりましょう。というのも、「添加物」という言葉からすぐに連想されるのはまさに元のワインに+αで「付け加わる」ものというイメージです。シャンパーニュ好きの方であれば、滓引きしたあと、味を一定にするためリキュールを加える「ドザージュ」のための「リキュール」はまさに添加物だろうと思われるでしょう。また、ビオワイン好きというか、添加物アレルギーの方なら、悪しき亜硫酸塩(サルフェート)を加えるので頭が痛くなるのだと酸化防止剤が頭に浮かぶのではないでしょうか。
 
 しかし、例えば、カゼイン、ゼラチンなどが不安定たんぱく質を吸着させ、除去するために添加されます。コンソメスープを澄ますのに卵白を加えるのと同じで、ワインも元々卵白を使っていたのを効率化することで当該の化学物質を用いるということです。つまり、これらは除去されますのでワインの中に残りません。しかも、元々あったワインから不純物などを取り除くので、マイナスαの働きと言えましょう。しかし、これも元々のワインに加えますので「添加物」に他なりません。
 
 つまり、ワイン批評家なら、まずどのような「用途」で添加物を加えるのかを説明・分類し、それからそれぞれの用途に該当する添加物の「名」を挙げるでしょう。その際、例えば除去するメカニズムを、化学変化の過程それぞれで変化する物質をことごとく挙げて詳細に説明する(これがエンチクロペディー方式です)のではなく、あくまで必要最初限におさえ、あくまでシステマティックに添加物がワインを作る工程でそれぞれどのような「用途」で用いられるかを概観し、まとめて記載するでしょう。『新ワイン学』では添加物をまとめて記載していません。そこで、必要に応じて、添加物に限らず、テーマごとに『新ワイン学』を参照しつつ、ワイン消費者に必要な知識を体系的にまとめて伝えるのが「批評家」の役割と言えましょう。
 
 『新ワイン学』を書かれた意図。それは、戸塚先生がご挨拶で述べられた「健やかなワイン」が常態化することを目指してのことと筆者は理解しました。問題はその「健やかさ」とは何かなのですが、大きく二つの事柄に分けられると思います。まず、リーファーワイン協会設立趣旨でもある「正しく保存・管理」されて消費者の口に入ること。しかし、エノログの立場からすれば、別な角度で戸塚先生がよく口になされる「最初からダメになっているワイン」こそ、問題となるのかと思われます。これは醸造課程での微生物による「汚染」などが原因で、本来正しく作られたのとは違う味わいのものが世に出回ることです。先生がビオワインに警鐘を鳴らされるのも、自然のままが一番と、汚染したワインを「本当の」味わいであると勘違いし、ビオなら何でもよい、添加物は「すべて」悪であると安易な二元論に陥るのを戒めるために他なりません。
 
 昨今、ブルゴーニュワイン愛好家の間では、「全房発酵」が話題となっています。『新ワイン学』にもあるように、ワインの醸造で「葡萄の実を房から外して潰す」=「除梗」、「破砕」という工程があります(124125頁)。茎の部分にあるタンニンや匂いを排除することで、果実のピュアな味わいを最大限に生かそうという作りが名手アンリ・ジャイエを筆頭に推奨され、「除梗」を徹底し、さらにはフィルターをしっかりかけて「きれいな」ブルゴーニュを作ることが目指された時代が続きました。しかし、それは一九五〇年代に除梗機が普及したからに他なりません。それ以前は茎も一緒に発酵させる「全房発酵」がスタンダードでした。そして、近年、ビオワインの流行などもあり、「全房発酵」、ノンフィルターといった作りが見直されています。味に複雑さが加わるという評価があるからです。
 
 ただし、「全房発酵」の場合、茎に微生物が付着しており、またpHが高くなりやすいなど、微生物管理が難しく、作り手を選ぶと言われています。普通に作ろうとすれば、亜硫酸塩を多く必要とすることになり、さもなければ高度な醸造技術を持つ醸造家を要することになります。その筆頭がマダム・ルロワの甥で、DRCの共同経営者でもあるアンリ=フレデリック・ロックによるドメーヌ「プリウレ・ロック」です。つまり、「全房発酵」が再び可能になったのもエノロジーの進歩のおかげと言えるでしょう。
 
 こうして考えますと、「健やかなる」ワインとは何かという問いは一筋縄ではいかないものがあることがわかります。ビオだからよい、ダメではなく、一人一人の作り手、一つ一つのワインをまさに精確に「唎ワイン」出来る能力をマスターする必要があるかと思われます。リーファーワイン協会がその普及を目指すテイスティング能力とは、まさしくこのような「健やかなる」ワインを「味分ける」能力と言えるでしょう。
 

第三十三回
グルメとは何か?
――グルメが「美食家」ではなく「食通」である理由――

 前回の連載の終わりで、『新ワイン学』の編集幹事の戸塚昭先生が数ある日本ワインの中から「これは肉に合います」といった視点でワインを評価されていたのを目の当たりにして、筆者は「自分はグルメではないなあ」と漠然と感じたのでした。というか、大学に入学した一九八〇年以来それなりにフランス料理を意識して食してきた筆者は一度も自身を「グルメ」だと思ったことはなく、というか、「グルメ」と呼ばれる人はフランス料理に対峙する場合、自分から一番遠い位置にいるのではないかと考えています。
 
 というのも、まず筆者が「グルメ」という言葉でイメージするのは「食べることが好き」な人、さらには「たくさん食べる人」だからです。筆者、ご執心なのはフランス料理だけで外食一般は好みませんし、食べることに貪欲ではありません。また、お酒が好きなわけでもなく、ビールは苦手ですし、基本、飲むのはワインなど葡萄関係だけです。
 
 以前にも書かせていただきましたが、筆者が「グルメ」から連想するフランス語はグロ・マンジェ(gros manger)「たくさん食べること」、グロ・マンジュール(gros mangeur)「大食漢」です。グロには「太った」という意味もあります。もちろん、グルメ(gourmet)の語源は古フランス語グロメ(gromet)「ワイン商の使用人」と言われていますので正解ではありません。しかし、同じ語源のグルマン(gourmand)はまさに「大食家」という意味です。
 
 ここで、食に関する人物の表現を整理してみましょう。
「グルメ」、「グルマン」が同じ語源から。そして、筆者の連載のタイトルにもあるガストロノミの実践者としての「ガストロノーム(gastronome)」の三種類が通常考えられます。例えば、『ロワイヤル仏和中辞典』(旺文社)でもこの三つの違いが説明されています。グルマンが「量も多く食べる食道楽の人」、グルメは「洗練された美食家」、ガストロノームは「料理を心得た美食家」とあります。この説明、グルマンはしっくりくるのですが、グルメとガストロノームが同じ「美食家」というのは語源の違いからも適切ではないと思います。まあ、それをみとめたとして、「洗練された」と「料理を心得た」の違いは何?と聞かれると困惑されるのではないでしょうか。
 
ガストロノミの語源が古典ギリシア語の「胃」を表わすガストロス(gastros)と「法・掟」を表わすノモス(nomos)の合成語であり、その初登場が一八〇一年、ジョセフ・ベルシューの公刊した『ガストロノミあるいは食卓についた野に生きる人』であることは、今回のピュドロフスキの拙訳、第十五章「著名な先達たちについて」に詳しいのでご参照いただければ幸いです。また、筆者が翻訳の「訳者あとがき」で参考文献として挙げた『フランス 食の事典』(白水社)でも「ガストロノミ」の項にこれらの言葉が説明されています。グルメは「うまいものとそれに合うワインを選び評価できる人、美食家」、グルマンは「うまいものを大量に食べるのが好きな人」、ガストロノームが「ガストロノミを実践する人、食通。グルメであり、料理を作ることができ、料理やワインについてあらゆる面から語ることのできる人」とあります。さらに、キュルノンスキが二十世紀初めに作った「ガストロノマド」が挙げてあります。ノマド(nomade)はギリシア語で「遊牧民」の意味です。ポストモダンが流行った一九九〇年前後、ドゥルーズ/ガタリの「ノマドロジー」が一世を風靡したのが懐かしい言葉です。ガストロノマドとは「地方をめぐり、うまい料理、ワインと心地よいサーヴィスを探求する人」と定義されています。やはり、グルマンは「たくさん食べる」ことが条件のようです。問題はグルメが「美食家」で、ガストロノームが「食通」と訳されていることです。この事典のガストロノミの定義は「飲食を楽しむための術」であり、ガストロノミに適切な訳語がないとしています。
 
 ちなみにこの四つの表現は今回の翻訳にも全部登場しています。筆者の訳語はガストロノームが「美食家」、グルメが「食通」、グルマンが「食道楽」、ガストロノマドが「美食の放浪者」です。これは筆者がガストロノミを「美食(学)」と考えるからです。これは独断ではなく、例えば、フランスの著名な美学者ドゥニ・ユイスマンの『美学』(クセジュ文庫)には美学の分野に音楽美学や美術史などと共にガストロノミが挙げられていることからも明らかです。
 
 しかし、今回ここで着目したいのはグルメを「うまいものとそれに合うワインを選び評価できる人」と定義していることです。筆者はこの定義には賛成で、これこそが「食通」であると考えます。何故なら、マリアージュの妙を極めるのはまさしく「通」のなせる業ではないでしょうか。それに対し、学としてのガストロノミはマリアージュではなく、うまいものはそれだけでうまい、ワインもそれだけでうまいはずでその「うまさ=美」を探求することであると考えられるからです。
 
 例えば、筆者は自らをガストロノームだとは申しませんが次のようなことがありました。恵比寿にワイン揃いの良いビストロがあり、店主がブルゴーニュ愛好家なのでときおり伺います。つい先日、伺うとメニュに新しい料理が何品か。そこで、早速、その新しい料理から、フォアグラのポワレのサラダ仕立てと牛タンの厚切りステーキを注文し、あとはいつものパテ・ド・カンパーニュなど適当に。これは単純に新しい料理をピックアップしただけで、それぞれの出来を確認したかったのです。メインが牛タンだからその前は魚系かなあ、なんてのはまさしく「食通」に任せるべきで、ともかくフォアグラが上手に仕上がっているか知りたくて、註文した次第。
 
 ワインももちろん、牛タンに合うものをなんてのは「グルメ」にお任せして、自分はワインリストと睨めっこです。ボルドーもブルゴーニュもブテイユ、45000円から何本もリストアップされ、ビストロらしく良心的なのですが、何といっても一万円以上のブルゴーニュの品揃えには目を見張るものが。貧乏大学講師の筆者には15000円が上限ではありますが、もう何を選んでよいやら。店主の意見も聞きつつ、前回がレシュノーの「ニュイ=サンジョルジュ レ=ダモード」2005年だったので、シュヴィヨンのニュイ=サン=ジョルジュに魅かれつつも、ジョルジュ・ミュニュレ=ジブールの「ヴォーヌ・ロマネ」にすることにしました。同じ値段でいくつかヴィンテージがあり、店主の薦めもあって、一番古い2013年にしました。シュヴィヨン、ミュニュレ=ジブール共にそれぞれのアペラシオンを代表する作り手で、サトクリフの『ブルゴーニュワイン』(早川書房)でも記載があり、高評価を得ています。今回のヴォーヌ・ロマネ、ヴィンテージはイマイチだけに今飲むのには一番適しているでしょう。また、おそらく今買おうと思うとリストの値段より高くなるのは必須か、と。筆者の寂しい財布には厳しいものがありますが、ヴォーヌ・ロマネを知るには欠かせない逸品だと確信して厳かにいただきました。
 
 つまり、筆者が知りたい、体得したいのは牛タンの厚切りステーキに合うワインではなく、ヴォーヌ・ロマネとはどのようなワインかなのです。さらに言えば、シャトー・マルゴーが知りたいのではなく、マルゴーのワインはどんなワインか、サン=ジュリアンとどう違うのか、ヴォーヌ・ロマネはニュイ=サン=ジョルジュとどう違うのかといったことなのです。そして、今回ミュニュレ=ジブールのヴォーヌ・ロマネを飲んで、自分の中にヴォーヌ・ロマネってこんな感じというイメージが何となく定着してきたように思ったのです。華やかより、一本筋の通ったどこか近寄りがたい凛とした佇まい。タンニンがしっかり主張してそこに酸が乗っかる感じ。果実味よりワインとしての複雑な味わいに魅力を見出すタイプなどなど。実は店を訪れる前に、アペリティフ代わりに駅ビルアトレ西館の君嶋屋の立ち飲みで、アンリ・ボワイヨのヴォルネをグラスで飲んできたもので、ニュイとボーヌの違いに思いを馳せたりと、一口一口飲むたびに今迄のつたない経験を総動員して、ミュニュレ=ジブールの銘酒に対峙した次第です。
 
 もちろん、牛タンの厚切りステーキは美味しくいただきました。塩と胡椒くらいで充分なくらいに肉そのもののうまみがあり、別にヴォルネでないといけないとか、マルゴーが一番合うとか考えることもなく、厳かなヴォーヌ・ロマネにもまったく堂々と張り合える存在感のある立派な料理だったと思った次第です。
 
 思えば、「グルメ」を「うまいものとそれに合うワインを選び評価できる人」と定義するのは随分限定的で、「うまいものとそれに合う酒を選び評価できる人」というのがとりわけ日本では妥当なように思われます。しかし、これは相当大変なことです。和食には日本酒でしょうし、クラフトビールが人気の昨今ではそれにも通じていなければならず……。カレーやラーメンは守備範囲に入るのでしょうか?何せ、『ミシュラン』日本版はラーメン店にも星が付き、餃子やおにぎりまで登場するのですから。
 
 ご自身が希代のグルメである柏井壽氏が昨今のグルメブームを批判した『グルメぎらい』(光文社新書)で、ご自分を「僕は食べることが大好きです。美味しいものを食べるために仕事をしていると言っていいくらいです」と書かれています(214頁)。筆者もまた、「グルメ」を「食通」と呼ぶのは、食に通じている、つまり、フレンチであれ、ラーメンであれ、美味しいものなら何でも食べずにはいられないので、どんなジャンルでも対応できる情報・知識をお持ちの方であると理解してのことです。
 
 それに対して、音楽美学者であれば、オペラが専門である、あるいはバッハ研究をしている、美術史家であれば、印象派が専門である、特にモネ研究をしているというのと同じで、「美食家」はフレンチに精通している、日本酒のスペシャリストであるというのがその在りうべき姿であると筆者は考えます。
 
 もちろん、どちらのスタイルも「食」へのこだわりに関して必須であることに他なりません。まさしく、「グルメ=食通」と「ガストロノーム=美食家」は食を語り、論じる上での両輪と言えるのです。
 

第三十四回
カウンターでの食事の楽しみ
――二人であることの意義――

 このところずっと参照させていただいている柏井壽氏の『グルメぎらい』(光文社新書)ですが、筆者が「事象」として関心を持っているのは、柏井氏の「割烹」への言及の多いことです。著書の前半、第二章「モンスター化するシェフ」の冒頭から「主人と客の正しいやり取りをつぶさに見せてくれる」「割烹の嚆矢」として「浜作」が挙げられています(64頁)。割烹は昭和になってから生まれた日本料理では比較的歴史の浅いスタイルで、「料理する様を客の目の前で行うことを目的として生み出された」ものであること。そして、「浜作」の先々代主人、森川栄氏こそ、「今の割烹スタイルを生み出した先駆者なのです。その心は、客と主人のやり取りから生まれる即興料理」(64頁)にこそあることが力説されています。では何故、今、「割烹」がブームなのでしょうか。
 
 それは最後の第四章「どこかおかしい、グルメバブル」の小見出し「過熱する京割烹人気」以下(183頁)でその理由が分析されています。その第一は「京都で和食を食べること」がトレンドであること。これは大前提であって、ここからは「割烹」である必然性は導き出されません。第二に至って、それは明らかになります。「今の割烹は容易いこと」です。「料亭」となると敷居が高く、「立ち居振る舞いやマナーに気を配らねばなりません。さらに、「昔ながらの割烹」は「おかませ」というコースはなく、「品書きを見ながら自分で料理を選ばなければなりません」。これには「ある程度の経験と知識」を要すると。「そこへいくと、今の〈おまかせ割烹〉は知識も経験も不要ですから楽なものです。ただ席に着くだけでいいのです」と厳しい。そして、最後に「狭き門だからです」。「予約が取り辛ければ、取り辛いほど人気が集めるのが、今のおまかせ割烹の最大の特徴です」。これはSNSの発達で情報が容易く入手できること。さらに、予約もネットで受け付けるケースが増え、予約するのも必要な項目を埋め、ワンクリックで可能になったことにも原因があるでしょう。
 この連載を読んで下さっている読者の方々であれば、もうお気づきのことと思います。「カウンター」「おまかせ」といったら、昨今の日本の一つ星クラスのフレンチの定番スタイルではないか、と。そう、「割烹」ブームとフレンチの流行りのスタイルには共通の要素があったのです。そして、その人気の理由も柏井氏の分析された二番目、三番目の要因と合致するのではないでしょうか。料理人がバックヤードのキッチンから出ることなく、ソムリエとセルヴィスに人間性まで値踏みされるがごとくの旧来のグランメゾンの格式の高さより、カウンターで「おまかせ」コースの十数品の料理を次から次へと平らげて行けば良いだけの方がずっと楽ですし、カウンターとなれば席数に限りがあり、当然の如く予約も取り辛く、席の争奪戦になり、来店がかなった際は勝ち誇るがごとく、インスタグラムなどに食事の模様がアップされることでしょう。
 
 しかし、実は筆者も大の「カウンター」好きなのです。というか、最近は自分から食べに出かけるにはカウンターの店しかほとんど使わなくなりました。しかも、それは「割烹」の影響を受けたことを明言したフレンチに通い出したのがその始まりでした。ただし、それはもう二十年近く前のことで、大阪での出来事だったのです。当時、淀屋橋に「ラ・クロッシュ」という大阪を代表する名店がありました。筆者は格調高いフレンチは苦手ですので、伺おうと思いながらなかなか足を運ぶ機会がありませんでした。その内、その店の川田シェフがお客様と直に接して料理したいと希望され、本店の近くに「シェフズルーム」を出されたと聞いたのです。名シェフと評判の高かった川田シェフの料理する姿を目の当たりにしながら食事できるとはなんという幸せと早速、伏見町にあるその店へ出かけたのです。カウンターとテーブル席のあるその「シェフズルーム」。もちろん、筆者はカウンターを選択しました。メディアでよく顔を拝見していた川田シェフは思ったより気さくで、「割烹」を意識してこのスタイルにしたのだと話して下さいました。完全なオープンキッチンで、カウンターの前の方でスーシェフの中山大輔さんが主にオードブルを、奥のメインキッチンで川田シェフが主菜を作る分業だったと記憶しております。コース仕立てにはなっていたと思いますが、どのパートも数種から料理を選ぶことが出来ました。当時、名店でこのようなスタイルの店は六本木ヒルズの「ラトリエロビュション」くらいではなかったでしょうか。ロビュションと聞くだけでアレルギーが出そうな筆者はリピートする気にならず、大阪に出かけた際には必ず「ラ・クロッシュ シェフズルーム」に出かけて「割烹」スタイルのフレンチを楽しんだのでした。
 
 ところが数年したある日、川田シェフから引退するとの連絡を受け、店はどうなるのだろうと心配していたところ、中山シェフが受け継ぐことになり、店を改装して、二〇〇八年「ユニック」という店名で現在に至っています。早いものであれから「ユニック」も十年を迎え、オーナーシェフとしての貫禄も増してきた中山シェフの料理も、以前に比べダイナミックなものになって来たように思います。ホテルで修業され、当時の大阪の最高峰、リーガロイヤルホテルのメインダイニング「シャンボール」で働いた後、「ラ・クロッシュ」という大阪のフレンチの王道を歩いてこられた中山シェフは真面目な方で基礎がしっかりしていて安定感はあるのですが、若干こじんまりまとまってしまっていた感がありました。しかし、ここ数年、料理に幅が出て来たというか、スケールが大きくなってきたように思います。来月、久しぶりに来店する機会がありますので楽しみにしているところです。
 
 さて、そんな訳で気が付くと、昨今の「カウンター」フレンチブームもあって、筆者お気に入りの店はことごとくカウンターのある店で、必ずカウンターを選択するのです。大阪でもう一店必ず訪れる谷町四丁目の「コション・ローズ」(森田尚孝シェフ)も、代々木上原の「ロカヴォール」(小松健作シェフ)、先日伺って大変気に入った南麻布の「レギューム」(大塚野絵シェフ)も皆、カウンターに陣取ります。そして、出来れば、端の席が良いのです。「ユニック」では右端が定席ですし、筆者にとって今最高に居心地の良いのは、「シャントレル」(中田雄介シェフ)の店の一番奥のカウンター端の席であることは連載をお読み下さっている方には大方予想がつくことでしょう。この席から厨房の中田シェフやスタッフの方たちとコミュニケーションをとりつつ、隣の連れの方を向き食事を楽しみ、自然とその先に広がる店全体の様子を眺めるのは、全身でレストランをまるごと楽しんでいるようで何とも壮観なのです。そして、先日も連れの隣に座られ、ワインのことで初対面なのについ話が弾んでしまったのが「レギューム」の大塚シェフだったのです。中田シェフから帰り際にあの方も「キュイジニエール」なのだと店の名前を教えていただいたので、後日早速出かけさせていただいた次第です。
 
 ところで、筆者がカウンター好きなのはもちろん、「割烹」よろしくシェフとコミュニケーションを取りながら食事を楽しめるからです。しかし、ハタと気づいたのです。それが主たる理由では「ない」ことに。主たる理由、それは筆者がフレンチは「二人で楽しむ」ものと考えているからに他ありません。カウンターの場合、四名というのはまずあり得ません。三名が限界か、と。先日の「レギューム」もシャントレルで一緒だった方と按田餃子店主の按田優子嬢の三名で、按田嬢を真ん中に座った次第です。まあ、三名ならテーブルでも構わないか、と。しかし、二名だったら絶対にカウンターでないと、と筆者は思うのです。何故、テーブル席で二名は駄目なのか。それは真正面に相手が座ってしまうからです。これは正直、心理的に相当なプレッシャーを感じるのです。大切な人であればあるほど、真正面はきつい。
 
 医師が診察する場合、通常の科であれば、真正面に医師がいて、聴診器など当てるのが普通です。しかし、精神科では医師が患者の真正面に座ってはならないと言われています。九十度の位置関係になるようにセッティングするのです。真正面に座られるとどうしても医師の顔を直視しなければなりません。また、医師にまじまじと見られていると感じることでしょう。心が弱っている者にはそれだけでもどれほど辛いことか。九十度の位置に医師が座っていれば、真正面を向いてしゃべった時に医師の顔は目に入りませんし、気になればちょっと顔を動かして医師の様子を窺えば良いのですから。実際、筆者は神泉「ビストロ・パルタジェ」(野本将吾シェフ)では、カウンターが狭いので、空いていれば二人でも奥のコーナー席にしてもらいます。L字なので、まさしく九十度の位置に座れますし、端というか隅なので何とも落ち着きます(笑)。
 
 しかし、一方、カウンターで二人の魅力は真横に連れが座ることです。つまり、距離感が近い。グランメゾンなどで立派なテーブルに真正面に座られると、まじまじと見られるのに身体が触れ合うようなことがありません。それに比べ、カウンターであれば、必要があればお互いに見つめ合い、カトラリーを取るなり、料理を分けるなりするのでも、身体が接触することがあるくらい近い位置に相手が座っています。視線が「監視」という心理作用に通じるのに対して、カウンターのまさに「隣人」として身体的リアリティを感じさせる相手と食事し、一本のワインを開けて、分かち合う(partager)こと。この密やかなエロティシズムをも含むシチュエイションこそ、フレンチの美学に相応しいのではないでしょうか。
 

第三十五回
『ルベ』の合本から見えること
――ガイドブックの現在的意義――

 すでに何回も書かせていただいておりますように、筆者のライフワークとも言える事柄として、パリのレストラン格付け本四種類を毎年購入し、比較対照するという作業があります。その四種類の内訳とは、『ミシュラン』、『ゴー=ミヨ』、『ギッド・ルベ』、そして筆者がその著書を翻訳したピュドロフスキによる『ピュドロ・パリ』です。ミシュランこそ、タイヤ会社の名前ですが、後の三冊はアンリ・ゴーとクリスチャン・ミヨ、クロード・ルベ、そして、ジル・ピュドロフスキと主幹の名が冠されております。今回訳した『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』の「あとがき」でも書きましたように、ゴーは比較的早くに亡くなり(2000年)、ミヨとルベは共に二〇一七年に亡くなっており、現存するのはピュドロフスキだけという状況です。生前、ミヨもルベも晩年はギッドから離れており、『ルベ』は売却された旨が記されています(邦訳、218頁)。
 
 さて、日本では『ミシュラン』、『ゴー=ミヨ』が日本版を出していることもあり、認知されているかと思われます。とりわけ、『ミシュラン』は相変わらずの人気というか「権威」で、その動向は毎年恒例の年末行事のようにマスコミで報道されています。では、『ピュドロ』は置くとして、『ルベ』は「少なくとも」フランス本国ではどのような扱いなのでしょうか。ピュドロフスキの翻訳で第十九章「影響力を持つ者」の筆頭に挙げられているのがクロード・ルベなのです。その功績の例の一つとして、時の大統領、ジスカール=デスタンに料理人にもレジオン・ドヌール勲章を授けるよう進言したのはルベであり、その結果、ポール・ボキューズがその最初の栄光にあずかることとなったと記されています(邦訳、219頁)。また、そのお礼の意味を込めて、記念晩餐会でボキューズが創案したスペシャリテが「黒トリュフのスープ、VGE」です。このアルファベットはヴァレリー・ジスカール・デスタン(Valéry Giscard d’Estaing)の頭文字です。deがつくということは、大統領は貴族の末裔であることがわかります(ドイツは「フォンvon」です)
 
 このようなクロード・ルベが始めた『ギッド・ルベ』が影響力を持たない訳がありません。さらに、『ギッド・ルベ』には他の三つのガイドとは決定的に異なった特徴がありました。それは二冊立てだったのです。パリのレストランを評価する『ギッド・ルベ』とパリのビストロに特化して評価する『プティ・ルベ』(近年は『ルベ・デ・ビストロ』の名に変更)の二種類のギッドを毎年出していたのです。そして、このビストロの格付け本こそ、ルベだけの業績として高く評価されたのです。その背景には、ルベ自身がゲラール、ガニェールといった錚々たる巨匠を世に出した一方で、「ウフマヨ(ゆで卵のマヨネーズがけ)」や「テート・ド・ボー(仔牛の頭肉の煮凝り)」といったビストロ料理を熱愛し、「ウフマヨ」の美味しい店を認定し、そのリストを『プティ・ルベ』の巻頭に表示しました。つまり、オート・キュイジーヌ(高級フランス料理)だけでなく、家庭料理に端を発するビストロ料理をも含めてこそ「フランス料理」であるという高い知見の持ち主だったことが充実した内容の『プティ・ルベ』を維持できた理由と言えましょう。
 
 ところが、今年(2019年)の『ギッド・ルベ』は「パリ及びその周辺のレストラン、ビストロ、そしてカクテルバー」というサブタイトルが付され、一冊本になったのです。つまり、『ルベ・デ・ビストロ』はなくなり、『ギッド・ルベ』に吸収されたのです。ただし、評価は以前通りで、レストランは店名の上に「レストラン」と記載され、「エッフェル塔(トゥール)」マークで、ビストロは「ビストロ」と記載され、「ストーブ(鍋)」マークで、今年から加わったバーは「カクテルバー」と記載され、「三日月(クロワッサン)」マークで評価され、それぞれ三つが最高になっています。ということは、大変なスリム化といえます。昨年の『ギッド・ルベ』が850店舗、『ルベ・デ・ビストロ』が450店舗ですから合わせて、1300店舗が評価されていたことになります。それに対し、今年の一冊だけになった『ギッド・ルベ』は820店舗。前年の『ギッド・ルベ』とほぼ同じボリューム。それまでのビストロの分が全面的にカットされ、さらに、カクテルバーも加わっていますので、よく言えば厳選ですが掲載されなくなった店が半数までとは言いませんがそれに近い数と言えましょう。
 
 では、何故「合本」にしたのでしょう。フランス人のことですから、説明しないはずはありません。冒頭の編者による「親愛なる友たる読者へ(Chers Amis Lecteurs )」に記されています。その文章はこのように始まるのです。
「この2019年版、レストランとビストロは(遂に)一つとなった。というのも、おわかりかと思うが、この二つのタイプの店の境界がますます微妙なものとなっているからだ。オーヴェルニュ風田舎っぽさ〔ビストロは洗練されていないということ〕はまったく変わってしまった。……」(原書、3頁)。
 
 つまり、ビストロノミ(あるいは、ビストロ・ガストロ)と呼ばれるビストロ感覚で(レストランの)美食が楽しめるスタイルが主流となった今、ビストロはもはやレストランと双極をなすフランス料理のスタイルではなくなったということです。
 では、レストランとビストロはどのような関係になったのかと言えば、レストランは「より親密(intime)でプライヴェートな」シチュエーションか「専門的な(professionnel)」つまり美食に特化した食事をする場合、それに対して、ビストロは「家族、友人との打ち解けた会話のなされる食事」、「日常使いできる(d’habitude)」食事処という、あくまで「パリジャン」がその用途によって使い分けるもので、料理の違いではないという主張です。そして、パリジャンの生活スタイルをより豊かなものにするため。新たに加えたのが「カクテルバー」の格付けであるというのです。
 
 これはおそらくレストランとビストロの境界がなくなったことと無縁ではありません。というのも。一時代前のグランメゾンには必ずウエイティングバーがあり、まずそこでアペリティフで「マティニ」や「ギムレット」などを嗜んでからメインダイニングに移動し、食事を済ませた後、さらにディジェスティフを楽しむさらに別の部屋に移動。そこで葉巻などくゆらせながらコニャックやウィスキーなど強いお酒をいただき余韻を楽しむという贅沢な空間時間の使い方があったからです。筆者の印象に残っているのは、神戸ポートピアホテルの最上階にあった「アラン・シャペル」でまさしく上記のような体験をしたことです。ただし、筆者が出かけたのはもう最盛期を過ぎた頃で、ダイニングは半分しか使われていませんでした。しかし、ホテルの最上階がまるまる「アラン・シャペル」として使われていたのですから、確かに鳴り物入りで日本最高峰のレストランだった時代の名残は体験できたと言えましょう。
 
 つまり、以前はレストランでカクテルや強いお酒、さらには葉巻なども楽しみ、学ぶことが出来たのですが、昨今のレストランは料理至上主義で、そうした「嗜み」は切り捨てられてしまったと言えましょう。それらを享受できる場所こそ「カクテルバー」なのです。いや、今回三クロワッサンに格付けされたかの有名な「バー・ヘミングウェイ」など、オテル・リッツのメインバーですから、ヘミングウェイでアペリティフをして、メインダイニングの「エスパドン」に出かける、あるいはすぐ近くのホテル・クリヨンの「アンバサドゥール」に食事に出かけるなどというのは筆者のパリ時代の贅沢なランデヴコースでした。いずれにせよ、現在の「美食」には「カクテルバー」の存在は必須という考えには一理あり、それは日本でも同様に思われます。
 
 では、具体的に新たな『ルベ』は以前のものと記載に関してどのように異なっているのか、概観してみましょう。
 
 まず、店名、格付けマーク、住所、最寄地下鉄駅、電話番号は変わりません。ただ、以前はその下にシェフ(店によってはソムリエ、責任者(responsible)なども)の名が記されていましたが「なくなりました」。これは他の三つのガイドブックにはない表記で大変助かっていたのです。本文を読まないとシェフの名がわからない。場合によってはシェフの名が記されていない場合もあるからです。
 
 次に本文が来るのですがこれは大筋変わりません。というか、2018年版と同じ紹介文の店もありました。再調査していないのでしょう。
 
 次が一番変わったところです。以前までは「アラカルト」という表記で、オードブルからデセールまで代表的料理が価格と共に記載されていました。これが完全にカットされたのです。おそらく、主流が「アストランス」(16区、三つ星)風お任せコースになってしまい、ビストロも同様の流れがあるからではないでしょうか。日本でもそれは同じで、先日筆者は『ミシュラン』でビブグルマンに認定された「336 ébisu」に出かける機会がありましたが、アラカルトもありましたが7000円のお任せコースがまず記載されていました。まあ、この店はワインリストがデュジャックやルソーなどブルゴーニュの銘酒で占められているのを見てもわかる通り、星を狙っているのが明確ですので当然なのかもしれません。
 
 さらに残念なのは次いで、ミシェル・ベターヌ、ティエリー・デソーヴ両氏による「お薦めワインリスト」があったのですがこれも「削除」されてしまいました。すべての店ではなかったのですが、ビストロの方でもリストは掲載されていました。
 
 あとはほとんど変わっていません。調査した日に食べた料理の名前。そして、支払った金額が記載されています。多くの場合、コース料理にグラスワイン一杯分(銘柄銘記)とエスプレッソ代と凡例に記載されています。フランスでは飲み物は食べ物と別体系ですので、コース料理にコーヒーは含まれず別料金です。水はレストランでは有料のはずですが、凡例には水は「無料の〔カラフェの(en carafe)〕」ものとあります。
 
 次に『ルベ』特有のマークが登場します。それは「パン」、「フロマージュ(チーズ)」、「コーヒー(エスプレッソ)」、そして「ワインリスト」の四つの評価対象をそれぞれ三つを最高に記号で評価するものです。これは以前はレストランの方だけでしたが、合本になり、ビストロにもこの記号の評価が付きました。四つすべて評価されている店は少なく、だいたいこの中の二つか三つが評価されています。
 
 そして、コース料理、定食の値段、営業時間、定休日が以前と同じく記載され、一つの店の評価は終了します。
 
 このように、「アラカルト」と「ワインリスト」という個々の料理やワイン、さらにそれらの値段といった「具体的な」情報がごっそり抜けてしまい、さらに店の数が相当減ったこともあり、正直、スカスカな感じのガイドになってしまいました。しかし、それも時代の趨勢であり、紙媒体としてのガイドブックの現状なのかもしれません。しかし、「カクテルバー」を新たにレストラン、ビストロと並んで「店」として評価することで「食文化」の維持を図ろうという姿勢に『ルベ』の変わらぬ精神を垣間見ることが出来るようにも思われるのです。
 

目次

著者Profile

関 修(せき おさむ)

フランス現代思想
文化論
(主にセクシュアリティ精神分析理論/ポピュラーカルチャースタディ)
現在、明治大学法学部非常勤講師。
2014年、明治大学で行われた「嵐のPVを見るだけの授業」が話題となった。
 

経歴

1980年:千葉県立船橋高等学校卒業
1984年:千葉大学教育学部卒業 
1990年:東洋大学大学院文学研究科哲学専攻博士後期課程単位取得満期退学、東洋大学文学部非常勤講師 
1992年:東洋大学文学部哲学科助手
1994年:明治大学法学部非常勤講師  、他に、岩手大学、専修大学、日本工業大学などで非常勤講師を務める 
 

著書

『挑発するセクシュアリティ』(編著、新泉社)
『知った気でいるあなたのためのセクシュアリティ入門』(編著、夏目書房)
『美男論序説』(夏目書房)
『隣の嵐くん~カリスマなき時代の偶像』(サイゾー)
『「嵐」的、あまりに「嵐」的な』(サイゾー)
 

翻訳[編集]

G・オッカンガム『ホモセクシュアルな欲望』(学陽書房,1993年)
R・サミュエルズ『哲学による精神分析入門』(夏目書房,2005年)
M・フェルステル『欲望の思考』(富士書店,2009年)
 

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